崇源院霊屋
德川二代將軍裏方靈屋
昭和初期のガイド文
増上寺本堂の南側にあり、徳川二代将軍秀忠の奥方、崇源院の霊を祀っています。江戸時代前期の寛永3年(1626年)工を起し寛永5年(1628年)に竣成した建物で、芝霊廟建築のなかで最古のもので本殿、相ノ間、拝殿からなります。拝殿は五間三面入母屋造で唐破風造の向拝をもち、柱や長押など内外とも蝋色塗で、台輪上各部に極彩色が施されています。相ノ間の柱もすべて蝋色塗です。本殿は五間五面入母屋造で、漆箔金襴巻の丸柱を建て、台輪上各部に極彩色を施しすばらしく華麗です。内外2陣に分かれ、内陣は一段高くなり、二代将軍奥方の厨子の外に、六代将軍奥方、十一代将軍奥方、十三代将軍夫人、十一代将軍姫君、五代将軍生母、七代将軍生母の厨子も安置されています。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 崇源院霊屋
- かな
- すうげんいんたまや
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存しない
- 備考
- 現在のザ・プリンスパークタワー東京の敷地にあたり、昭和20年(1945年)の東京大空襲により焼失しました。墓所としては増上寺安国殿裏の徳川家墓所へ改葬されています。
日本案内記原文
增上寺本堂の南側にあり、德川二代將軍秀忠裏方崇源院の靈を祀る。寬永三年工を起し同五年に竣成した建物で、芝靈廟建築中最古のもので本殿、相ノ閒及拜殿より成る。拜殿は五閒三面入母屋造で唐破風造の向拜を有し、柱及長押など內外とも蝋色塗で、臺輪上各部に極彩色が施されて居る。相ノ閒の柱もすべて蝋色塗である。本殿は五閒五面入母屋造で、漆箔金襴卷の丸柱を建て、臺輪上各部に極彩色を施し頗る華麗である。內外二陣に分かれ、內陣は一段高くなり、二代將軍裏方の厨子の外に、六代將軍裏方、十一代將軍裏方、十三代將軍簾中、十一代將軍姬君、五代將軍生母、七代將軍生母の厨子も安置されて居る。