大久保彦左衛門の墓
大久保彥左衞門墓
昭和初期のガイド文
市内電車名光坂下停留場の西北、白金三光町立行寺の墓地にあり、了真院殿日清霊位、寛永拾六已卯暦二月二十九日の銘文があり、いつも香や花が絶えません。彦左衛門は徳川家創業の功臣で、後に旗本に列せられて80歳で没しました。後方の小な五輪塔は講談「大久保彦左衛門と一心太助の物語」で知られる一心太助の墓です。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 大久保彦左衛門の墓
- かな
- おおくぼひこざえもんのはか
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 東京都港区白金2-2-6 立行寺内
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
市內電車名光坂下停留場の西北白金三光町立行寺の墓地にあり、了眞院殿日淸靈位、寬永拾六已卯曆二月二十九日の銘文あり、四時香華が絕えない。彥左衞門は德川家創業の功臣で、後旗本に列せられ八十歲で歿した。後方の小なる五輪塔は一心太助の墓である。