大光明寺陵
大光明寺御陵
昭和初期のガイド文
桃山駅の南0.5km、桃山にあります。陵域内に2つの陵が並び、東は北朝第2代光明天皇陵、西は同第3代崇光天皇陵です。ともに円墳、陵上に竹が生え老杉が四方を囲んでいます。光明天皇は延元2年(1337年)御即位、御在位12年で天授6年(1380年)崩御されました。崇光天皇は正平4年(1349年)御即位、御在位3年で伏見の仙洞に遷られ、応永5年(1398年)崩御されました。
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 大光明寺陵
- かな
- だいこうみょうじのみささぎ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 京都府京都市伏見区桃山町泰長老
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
桃山驛の南半粁、桃山にある。陵域內に二陵相竝び、東なるは北朝第二代光明天皇御陵、西なるは同第三代崇光天皇御陵である。共に圓墳、陵上に竹を生じ老杉四方を圍んで居る。光明天皇は延元二年御卽位、御在位十二年で天授六年崩じ給うた。崇光天皇は正平四年御卽位、御在位三年で伏見の仙洞に遷御あらせられ、應永五年崩じ給うた。