安楽寿院

安樂壽院[眞言宗智山派]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市営および奈良電車城南宮下車、竹田内畑町にあります。もとは鳥羽上皇の鳥羽離宮(城南離宮)の東殿の仏殿でしたが、平安時代の保延3年(1137年)改めて仏刹としたものです。その本堂はもと三重塔だったため本御塔と呼ばれ、もと鳥羽天皇陵の上にあったものを江戸時代末期の元治元年(1864年)にここに移しました。本尊阿弥陀如来坐像は鳥羽上皇の御念持仏で高さ91cm、漆箔定印の坐像で、胸に卍があるので卍字阿弥陀と呼ばれ、十二重の台座に坐し、舟形宝相華透彫の光背を背負い、藤原式の完備したもので国宝です。同じく国宝の絹本著色孔雀明王、普賢菩薩、阿弥陀二十五菩薩来迎図の三幅はともに京都博物館に出陳されています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
安楽寿院
かな
あんらくじゅいん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市伏見区竹田中内畑町74
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市營及奈良電車城南宮下車、竹田內畑町にある。當院はもと鳥羽上皇の鳥羽離宮(城南離宮)の東殿の佛殿であつたが、保延三年改めて佛刹としたものである。その本堂はもと三重塔であつたから本御塔と呼ばれ、もと鳥羽天皇陵の上にあつたのを元治元年にこゝに移した。本尊阿彌陀如來坐像は鳥羽上皇の御念持佛で高三尺、漆箔定印の坐像で、胸に卍があるので卍字阿彌陀と稱し、十二重の臺座に坐し、舟形寶相華透彫の光背を負ひ、藤原式の完備したもので國寶である。同じく國寶の絹本著色孔雀明王、普賢菩薩、阿彌陀二十五菩薩來迎圖の三幅は共に京都博物館に出陳されて居る。

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