御香宮神社

御香宮神社[府社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

奈良線桃山駅の西北約0.5km、京阪電車伏見桃山の東北約0.5km、御香宮前町にあり、境内は黒田如水邸宅の跡であるといいます。創建の年代は明らかでありませんが、延喜式内の古社で神功皇后、仲哀天皇および応神天皇を祀ります。安土桃山時代の天正年間(1573~1592年)には豊臣秀吉が太刀を献納して征韓の戦勝を祈ったことがあり、当時は御幸宮と称していました。その後江戸時代にも武家の崇敬厚く、現存の社殿は徳川氏の造営になるものです。

表門[国宝] 伏見城の遺構で三間一戸切妻造、本瓦葺、木割は雄大で蟇股以外はすべて素木のままです。蟇股には彩色を施した優秀な彫刻が嵌装されています。意匠雄大にして豪壮の気分を現し、桃山時代の特徴を示しています。

本殿は慶長10年(1605年)徳川家康の再建になり、五間社流造、檜皮葺で、棰、柱等は朱塗、正面には三間の向拝を付し、その蟇股には雲竜、獅子、竹に虎などの彩色の華麗な彫刻があります。

拝殿は寛永2年(1625年)徳川頼宣の寄進と伝え、七間三面入母屋造、本瓦葺で割拝殿と称し、中央の一間を開いて通路とし、本殿の正面に通じています。正面の唐破風内および長押上の蟇股には、彩色を施した優秀な彫刻があります。

絵馬堂にはこの社の景を描き、猿廻の丸彫を嵌装した大形の珍しい絵馬があります。正保3年(1646年)に奉納したもので作者は前田六之丞と署名されています。

表門のそばに伏見義民碑があります。これは天明の頃酷吏の難から里人を救った文珠九助翁のために建てたものです。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
御香宮神社
かな
ごこうのみやじんじゃ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市伏見区御香宮門前町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

奈良線桃山驛の西北約半粁、京阪電車伏見桃山の東北約半粁、御香宮前町にあり、境內は黑田如水邸宅の址であると云ふ。創建の年代は詳かでないが、延喜式內の古社で神功皇后、仲哀天皇及應神天皇を祀る。天正年閒には豐臣秀吉が太刀を獻納して征韓の戰勝を祈つたことがあり、當時は御幸宮と稱して居た。その後江戶時代にも武家の崇敬厚く、現存の社殿は德川氏の造營に成つたものである。

表門[國寶] 伏見城の遺構で三閒一戶切妻造、本瓦葺木割雄大にして蟇股以外はすべて素木のまゝである。蟇股には彩色を施した優秀な彫刻が嵌裝されて居る。意匠雄大にして豪壯の氣分を現はし、桃山時代の特徵を示して居る。

本殿は慶長十年德川家康の再建にかゝり、五閒社流造、檜皮葺で、棰、柱等は朱塗、正面には三閒の向拜を附し、その蟇股には雲龍、獅子、竹に虎などの彩色の華麗な彫刻がある。

拜殿は寬永二年德川賴宣の寄進と傳へ、七閒三面入母屋造、本瓦葺で割拜殿と稱し、中央の一閒を開いて通路となし、本殿の正面に通じて居る。正面の唐破風內及長押上の蟇股には、彩色を施した優秀な彫刻がある。

繪馬堂には當社の景を描き、猿廻の丸彫を嵌裝した大形の珍しい繪馬がある。正保三年に奉納したもので作者は前田六之丞と署名されて居る。

表門の傍に伏見義民碑がある。これは天明の頃酷吏の難から里人を救つた文珠九助翁のために建てたものである。

伏見・桃山のみどころ