桓武天皇柏原陵

桓武天皇柏原御陵
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

桃山駅の北1km、桃山町にあります。もとは宏大な陵でしたが、後世に大きく損なわれて丘の形を失ってしまいました。明治以後修理が加えられ、道路を開き周垣を築かれました。天皇は奈良時代の天応元年(781年)位につかれ、延暦12年(793年)葛野郡宇太村の地を定め新都を造営して遷都され平安京といい、以来1,000年の帝都の基を作られました。また東夷の反乱が続いていることを憂い、延暦16年(797年)坂上田村麻呂を征夷大将軍とし、これを討平させ、蝦夷地はすべて配下となるに至りました。天皇御在位25年、延暦25年(806年)3月70歳をもって崩御されました。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
桓武天皇柏原陵
かな
かんむてんのうかしわばらのみささぎ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

桃山驛の北一粁、桃山町にあり。もとは宏大な御陵であつたが、後世甚だしく毀たれて丘形を失ふに至つた。明治以後修理が加へられ、道路を開き周垣を築かれた。天皇は天應元年位に卽き給ひ、延曆十二年葛野郡宇太村の地を相して新都を經營して遷都し給ひ平安城と云ひ、爾來一千餘年の帝都の基を成し給うた。また東夷の反伏常なきを憂ひ給ひ、延曆十六年坂上田村麻呂を征夷大將軍となし、これを討平せられ、蝦夷地悉く主化に服するに至つた。天皇御在位二十五年、延曆二十五年三月聖壽七十を以て崩ぜられた。

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