伏見稲荷大社

稻荷神社[官幣大社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

奈良線稲荷駅の東約300m、市営および京阪電車稲荷下車、伏見深草、伏見街道の南端東側にあり、食稲魂神を祀ります。飛鳥時代の和銅年間(708~715年)には稲荷山の山嶺三ヶ峰に祀られていましたが、後世現在の地に移されました。延喜の制において名神大社に列し、また二十二社のひとつに編入され、しばしば行幸あり、古来朝野の信仰厚く、今なお盛んにして常に参詣者が絶えません。例祭は4月9日、2月の初午祭は特に賑わいます。

本殿[国宝] 伏見街道から朱塗の大鳥居を入ると、石段の上に朱塗の楼門があり、その奥に拝殿と本殿が立っています。五間社流造の建築で、前面に唐破風造の向拝を突き出しています。本殿は室町時代の明応3年(1494年)の建築で、向拝は江戸時代中期の元禄年間(1688~1704年)に補ったものといいます。屋根は檜皮葺で流れが非常に緩く、構造様式は室町時代の末期を代表し、その美麗な蟇股は室町桃山両期の過渡期の作風を示しています。

権殿 本殿の向かって左にあり、五間三面流造檜皮葺の建築です。

神苑 本殿の背後から東に上ると、上中下三つの峰が並んでいるので三ヶ峰と称され、山中7か所に神跡があり、俗に御山巡りと称して巡拝する人が多いところです。この神跡を遥拝するため、命婦谷すなわち本殿の後方に御供所があり、俗に奥の院と称しています。全山各所に多数の赤い鳥居がありますが、本殿の後方から命婦谷に通ずるところには鳥居がトンネルのようになっていて、俗に千本鳥居と呼ばれて名高いものです。山上に達すると伏見桃山から淀八幡一帯の眺望が開けます。

御茶屋[国宝] 本殿の前、石段の右手にある門構のなかにあります。門を入ると左側に「後水尾院恩賜之書院」と刻まれた石標があります。もと仙洞御所内にあった御茶屋で、後水尾天皇がこの社の神職羽倉延次に賜ったものと伝えています。大正7~8年修築を加えた際、多少原状を変更した個所もありますが、書院造を加味した茶席建築で床脇、棚並びに付書院、欄間、釘隠等の手法に、桃山時代の風を残しています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
稲荷神社 稲荷神社赤鳥居

令和に見に行くなら

名称
伏見稲荷大社
かな
ふしみいなりたいしゃ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市伏見区深草藪之内町68
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

奈良線稻荷驛の東約三〇〇米、市營及京阪電車稻荷下車、伏見深草、伏見街道の南端東側にあり、食稻魂神を祀る。和銅年閒には稻荷山の山嶺三ケ峯に祀られて居たが、後世今の地に移された。延喜の制に於て名神大社に列し、また二十二社の一に編入せられ、屢々行幸あり、古來朝野の信仰厚く、今尙盛にして常に參詣者が絕えない。例祭は四月九日、二月の初午祭は特に賑ふ。

本殿[國寶] 伏見街道から朱塗の大鳥居を入ると、石段の上に朱塗の樓門があり、その奧に拜殿と本殿が立つて居る。五閒社流造の建築で、前面に唐破風造の向拜を突き出して居る。本殿は明應三年の建築で、向拜は元祿年閒に補つたものと云ふ。屋根は檜皮葺で流れ頗る緩く、構造樣式は室町時代の末期を代表し、その美麗なる蟇股は室町桃山兩期の過渡期の作風を示して居る。

權殿 本殿の向つて左にあり、五閒三面流造檜皮葺の建築である。

神苑 本殿の背後から東に上ると、上中下三の峯が竝んで居るので三ケ峯と稱され、山中七ケ所に神跡があり、俗に御山巡りと稱して巡拜するものが多い。この神跡を遙拜するため、命婦谷卽ち本殿の後方に御供所があり、俗に奧の院と稱して居る。全山各所に多數の赤い鳥居があるが、本殿の後方から命婦谷に通ずる所には鳥居が隧道を成し、俗に千本鳥居と稱して名高い。山上に達すると伏見桃山から淀八幡一帶の眺望が好い。

御茶屋[國寶] 本殿の前、石段の右手にある門構の中にある。門を入ると左側に「後水尾院恩賜之書院」と刻まれた石標がある。もと仙洞御所內に在つた御茶屋で、後水尾天皇が當社の神職羽倉延次に賜つたものと傳へて居る。大正七八年修築を加へた際、多少原狀を變更せる個所もあるが、書院造を加味せる茶席建築で床脇、棚竝びに附書院、欄閒、釘隱等の手法に、桃山時代の風を存して居る。

伏見・桃山のみどころ