孝明天皇後月輪東山陵

孝明天皇後月輪東山御陵
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

月輪12陵の東100m。第121代孝明天皇の陵で、三段に石垣をめぐらしたうちにあります。直径約47m、高さ約7mの円墳で、頂上に大きな自然石を据え祀っています。陵域には掘立の石柵を廻らし、門は塀重門です。同一陵域内に後月輪東北陵があり、孝明天皇妃英照皇太后の陵で制式はほぼ東山陵と同じです。孝明天皇は明治天皇の父にあたられ、弘化3年(1846年)正月御即位、御在位16年、慶応2年(1866年)12月崩御されました。御寿36。天皇英資聡明、内憂外患の時にあって思いを内治外交に注がれ、王室中興の基を開かれました。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
孝明天皇後月輪東山陵
かな
こうめいてんのうのちのつきのわのひがしのみささぎ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市東山区泉涌寺山内町 泉涌寺内
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

月輪十二御陵の東一〇〇米。第百二十一代孝明天皇の御陵で、三段に石垣をめぐらした裡にある、直徑約四七米高さ約七米の圓墳で、頂上に大なる自然石を据ゑ奉る。御陵域には掘立の石柵を廻らし、御門は塀重門である。同一御陵域內に後月輪東北御陵あり、孝明天皇妃英照皇太后の御陵で制式は略東山御陵と同じである。孝明天皇は明治天皇の御父に當られ、弘化三年正月御踐祚、御在位十六年、慶應二年十二月崩御せられた。御壽三十六。天皇英資聰明、內憂外患の時にあつて思を內治外交に濺ぎ給ひ、王室中興の基を開かせられた。

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