大円広慧国師碑

佛國寺黃檗高泉和尙碑
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

京阪電車墨染の東北1km、深草町大亀谷の仏国寺境内、本堂の東側にあります。花崗岩が二重になった基盤上に建てられ、碑身および亀趺ともに銅製で高さ約2.5m、幅正面約1m、側面約43cm、上部に諡賜大円広慧国師碑銘と題した篆額と、その下に2,000字ほどの行状記を鋳出したもので、江戸時代中期の宝永3年(1706年)10月近衛家凞予楽院の撰ならびに書になります。碑の正面篆額の上部に双竜、また正面および側面の外縁に散雲を配して装飾してあります。碑は全鋳ではなく、部分ごとに個別に鋳て組み合わせたものです。

高泉は仏国寺の開祖で、中国福建の人、隠元和尚に招かれ江戸時代前期の寛文元年(1661年)日本に来て、上下の帰依を受け延宝6年(1678年)本寺を開き、のち元禄5年(1692年)黄檗山万福寺に入って第五世の法嗣となり、黄檗山中興の祖と呼ばれます。元禄8年(1695年)63歳にして没しました。書をよくし諸国にその墨蹟が残っています。墓は開山堂の後方にあったものが移されて現在堂内に木像とともにあります。また碑文の筆者予楽院は近世入木道の大家で、この碑はその楷書の書風を示す代表的傑作として知られ、京都博物館に出陳中の碑銘草本二幅とともに国宝に指定されています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
大円広慧国師碑
かな
だいえんこうけいこくしのひ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市伏見区深草大亀谷古御香町30 仏国寺内
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

京阪電車墨染の東北一粁、深草町大龜谷佛國寺境內本堂の東側にある。花崗岩二重の基盤上に建てられ、碑身及龜趺共に銅製で高さ約二米半、幅正面約一米側面約四三糎、上部に諡賜大圓廣慧國師碑銘と題する篆額と、その下に二千餘字の行狀記を鑄出したもので、寶永三年十月近衞家凞豫樂院の撰竝に書に成る。碑の正面篆額の上部に雙龍、また正面及側面の外緣に散雲を配して裝飾してある。碑は全鑄ではなく、部分ごとに別箇に鑄て組合はせたものである。

高泉は佛國寺の開祖で、支那福建の人、隱元和尙に請ぜられて寬文元年我が國に來り、上下の歸依を受け延寶六年本寺を開き、のち元祿五年黃檗山萬福寺に入りて第五世の法嗣となり、黃檗山中興の祖と稱せらる。元祿八年六十三を以て示寂した。書をよくし諸國にその墨蹟が遣つて居る。墓は開山堂の後方にあつたのが移されて今堂內に木像と共にある。また碑文の筆者豫樂院は近世入木道の大家で、この碑はその楷書の書風を示す代表的傑作として知られ、京都博物館に出陳中の碑銘草本二幅と共に國寶に指定されて居る。

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