花岳寺
花嶽寺[曹洞宗]
昭和初期のガイド文
播州赤穂駅の西約0.5km、浅野長直建立の浅野氏の菩提寺で、永井、森両氏もまたこの寺を音提寺としました。山門はもと赤穂城の搦手の塩屋門を明治の初年に移したもので、浅野氏時代の建築物です。境内には浅野、永井、森三家の墓のほかに、浅野家霊廟義士の木像と良雄の守本尊千手観音を安置する観音堂四十七義士の墓、義士宝物館等あり、義士墓地前にある忠義塚は亀の台に四角な碑を乗せたもので、碑文は良雄の殊遇を受けた赤穂の儒者藤江熊陽の撰で、義士に関する碑文として有名なものです。塚の後には良雄邸跡から桜、大野九郎兵衛宅跡から柳を移し植えて忠義桜、不忠柳と称し、正邪対照を示しています。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 花岳寺
- かな
- かがくじ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 兵庫県赤穂市加里屋1992
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
播州赤穗驛の西約半粁、淺野長直建立の淺野氏の菩提寺で、永井、森兩氏もまたこの寺を音提寺とした。山門はもと赤穗城の搦手の鹽屋門を明治の初年に移したもので、淺野氏時代の建築物である。境內には淺野、永井、森三家の墓の外に、淺野家靈廟義士の木像と良雄の守本尊千手觀音を安置せる觀音堂四十七義士の墓、義士寶物館等あり、義士墓地前にある忠義塚は龜の臺に四角な碑を乘せたもので、碑文は良雄の殊遇を受けた赤穗の儒者藤江熊陽の撰で、義士に關する碑文として有名なものである。塚の後には良雄邸址から櫻、大野九郞兵衞宅址から柳を移し植ゑて忠義櫻、不忠柳と稱し、正邪對照を示して居る。