児島高徳の墓
兒島高德墓
昭和初期のガイド文
大避神社の後丘、宝珠山妙見寺境内にあり、五輪の石塔に石垣を巡らしています。高徳は後僧となり、義清房志純と号し、妙見寺に隠棲して命を終えたと伝えられ、赤穂の儒臣赤松滄洲の碑銘があります。瑩城山腹にあり、眼下に坂越湾に絵のように浮ぶ生島を見下し、遠く家島列島を望むことができます。近年船岡公園を拓いて小亭を設け眺望の便に供しています。
※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 児島高徳の墓
- かな
- こじまたかのりのはか
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 兵庫県赤穂市坂越
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
大避神社の後丘、寶珠山妙見寺境內にあり、五輪の石塔に石垣を繞らしてある。高德は後僧となり、義淸房志純と號し、妙見寺に隱棲して命を了へたと傳へられ、赤穗の儒臣赤松滄洲の碑銘がある。瑩城山腹にあり、眼下に坂越灣に繪の如く浮ぶ生島を見下し、遠く家島列島が望まれる。近年船岡公園を拓いて小亭を設け眺瞩の便に供して居る。