正福寺
正福寺[臨濟宗建長寺派]
昭和初期のガイド文
西武電車東村山駅の西約0.5km、東村山村野口にあります。その地蔵堂は鎌倉時代の建築で、国宝に指定されています。五間五面重層入母屋造、屋根は上層茅葺、下層に現在トタンを張っていますが、元は板葺でした。上層の棰は二重扇棰、桝組は唐様三手先に尾棰を加え、下層の桝組は三斗を使用しています。正面中央の一間に唐戸をたて、その両脇の一間にはれんじ窓を付け、また後面中央の間にも唐戸をたてています。内部は土間となり、内陣の奥に来迎柱を建て、須弥壇を設け、千体地蔵を安置しています。建築の構造様式は鎌倉円覚寺の舎利殿に彷彿とさせ、鎌倉時代禅宗建築の代表的な遺構です。
この堂内に長さ3mあまりの大きな板碑があります。東村山村野口経文橋際から発掘したもので、上部に釈迦の種子を現し、その下に「貞和五年己丑卯月八日帰源逆修」の文字と梵字の光明真言が記されています。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 正福寺
- かな
- しょうふくじ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 東京都東村山市野口町4-6-1
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
西武電車東村山驛の西約半粁、東村山村野口にある。その地藏堂は鐮倉時代の建築にして、國寶に指定されて居る。五閒五面重層入母屋造、屋根は上層茅葺、下層に今トタンを張つて居るが、元は板葺であつた。上層の棰は二重扇棰、桝組は唐樣三手先に尾棰を加へ、下層の桝組は三斗を用ゐて居る。正面中央の一閒に唐戶をたて、その兩脇の一閒にはれんじ窗を附し、また後面中央の閒にも唐戶をたてゝ居る。內部は土閒となり、內陣の奧に來迎柱を建て、須彌壇を設け、千體地藏を安置して居る。建築の構造樣式は鐮倉圓覺寺の舍利殿に彷彿として、鐮倉時代禪宗建築の代表的遺構である。
この堂內に長さ三米餘の大なる板碑がある。東村山村野口經文橋際より發掘したるもので、上部に釋迦の種子を現はし、その下に「貞和五年己丑卯月八日歸源逆修」の文字と梵字の光明眞言が刻されて居る。
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