円融寺釈迦堂

圓融寺釋迦堂[國寶]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

目黒蒲田電車西小山停留場の西北約1.5km、碑衾町碑文谷にあります。三間四面単層屋根入母屋造茅葺で、大棟は高く勾配が急です。桝組は唐様三斗出組を使用し、正面は三間とも蔀戸をはめ、左右両側は最初の一間に引戸を建て、そのほかは羽目板となし、後面も板壁になっています。内部は総床拭板で中央に長方形の内陣を設け、天井を鏡板張とし、奥に須弥壇を置き、釈迦像を安置しています。彫刻は入母屋破風内の懸魚にやや優美な手法を見るのみで、虹梁木鼻などの絵様彫刻は極めて簡素になっています。寺は慈覚大師の開基と伝わり、はじめ天台宗でしたが、鎌倉時代に日蓮宗に改め一時法華寺と称しました。その後江戸時代に再び天台宗に改め現在に至っています。本堂は日蓮宗当時の釈迦堂で、鎌倉末期もしくは室町初期の建築です。正面に付加された瓦葺の向拝は後世のもので、このため外観を大きく損なっています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
円融寺釈迦堂
かな
えんゆうじしゃかどう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
東京都目黒区碑文谷1-22
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

目黑蒲田電車西小山停留場の西北約一粁半、碑衾町碑文谷にある。三閒四面單層屋根入母屋造茅葺で、大棟甚だ高く勾配が急である。桝組は唐樣三斗出組を用ゐ、正面は三閒とも蔀戶をはめ、左右兩側は最初の一閒に引戶を建て、その他は羽目板となし、後面も板壁になつて居る。內部は總床拭板で中央に長方形の內陣を設け、天井を鏡板張となし、奧に須彌壇を置き、釋迦像を安置して居る。彫刻は入母屋破風內の懸魚にやゝ優美なる手法を見るのみで、虹梁木鼻などの繪樣彫刻は極めて簡素である。寺は慈覺大師の開基と傳へ、はじめ天臺宗であつたが、中途鐮倉時代に日蓮宗に改め一時法華寺と稱した。その後江戶時代に再び天臺宗に改め現今に至つて居る。本堂は卽ち日蓮宗當時の釋迦堂で、鐮倉末期若くは室町初期の建築である。正面に附加された瓦葺の向拜は後世のもので、甚だしく外觀を害して居る。

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