新井白石の墓

新井白石墓
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

省線電車東中野駅の西北800m、中野町大塚高徳寺の墓地にあり、新井源公之墓と題し、側面に江戸時代中期の享保10年(1725年)69歳で没した旨が記されています。墓は浅草区松清町東本願寺内円照院にあったものを、ここに移転したものです。白石は江戸の人、木下順庵の門に遊び、徳川家宣および家継に仕え幕政に関与しました。和漢の学に通じ著書が多い。維新後正四位を贈られました。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
新井白石の墓
かな
あらいはくせきのはか
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
東京都中野区上高田1-2-9 髙德寺内
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

省線電車東中野驛の西北八〇〇米、中野町大塚高德寺の墓地にあり、新井源公之墓と題し、側面に享保十年六十九歲で卒した旨を銘記して居る。墓は淺草區松淸町東本願寺內圓照院にあつたのを、こゝに移轉したものである。白石は江戶の人、木下順庵の門に遊び、德川家宣及家繼に仕へ幕政に關與した。和漢の學に通じ著書が多い。維新後正四位を贈らる。

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