法界寺(日野薬師)

法界寺(日野藥師)[眞言宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

京阪電車宇治線六地蔵の東約1.5km、醍醐日野にあり、途中まで自動車の便があります。寺伝によるとこの寺は平安時代の弘仁13年(822年)藤原家宗の創建、僧最澄の開基で、現存の阿弥陀堂は永承6年(1051年)日野資業の建立です。阿弥陀堂の前にある薬師堂は明治37年(1904年)に大和竜田伝灯寺の本堂を移建したもので、康正2年(1456年)の建築です。

阿弥陀堂[国宝] 五間四方、屋根は宝形造檜皮葺の大建築でその周囲に深さ一間の廂が付けてあるため、七間七面重層建築のような外観を呈し、廂の屋根は鳳凰堂のように正面だけ中央部を高くして単調を破り、屋根の勾配は緩やかで軒二重となり、軒先に軽い反転をもち、非常に軽妙温雅の姿態を現しています。柱は本堂に円柱を建て、廂には面取の角柱を使用し、桝組はいずれも三斗を用いています。

内部は中央方一間を内陣となし、周囲に高欄をめぐらして仏壇を造り、国宝の本尊阿弥陀仏を安置しています。相好円満、その形式はいわゆる定朝式で弥陀の定印を結び、西方浄土の主尊たる慈悲相に溢れています。内陣の柱には十二光仏を描き、宝相華文を配しています。天井は内陣のみ折上組入天井となし、外陣は化粧屋根裏になっています。長押天井等皆彩絵を施し、天井下小壁には有名な天人の壁画があります。この阿弥陀堂を宇治の鳳凰堂と比べると余程簡素ではありますが、藤原時代における阿弥陀堂建築の代表的遺構です。

薬師堂[国宝] 阿弥陀堂の前面に建っています。五間四面、単層屋根は四注造本瓦葺で、軒端に反転があるものの、棟低く勾配は急でやや重厚の感があります。棟木の銘に「康正□□丙子七月二十日大行事英舜奉行」うんぬんの墨書があります。桝組蟇股および天井等には室町時代の様式を示していますが、全体の形状はかえって古調を帯びています。

内部は中央三間二面を内陣とし、その天井は折上格天井です。奥壁に接して須弥壇を設け、中央の厨子に本尊薬師仏を安置し、また厨子の左右には十二神将の立像が安置されています。

薬師如来立像[国宝] 高さ約102cm、細く両眼を開き、面貌崇高で、全身素地のままで、衣には精巧な截金文様で卍字つなぎの織文をあらはし、全体においてよく藤原時代の優美な特色を示しています。左右の十二紳将立像は寺伝に運慶の作と伝え、姿態表情非常に生気に富んだ鎌倉時代の作でこれも国宝です。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
法界寺阿弥陀堂

令和に見に行くなら

名称
法界寺(日野薬師)
かな
ほうかいじ(ひのやくし)
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市伏見区日野西大道町19
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

京阪電車宇治線六地藏の東方約一粁半、醍醐日野にあり、途中まで自動車の便がある。寺傳によると當寺は弘仁十三年藤原家宗の創建、僧最澄の開基で、現存の阿彌陀堂は永承六年日野資業の建立である。阿彌陀堂の前にある藥師堂は明治三十七年に大和龍田傳燈寺の本堂を移建したもので、康正二年の建築である。

阿彌陀堂[國寶] 五閒四方、屋根は寶形造檜皮葺の大建築でその周圍に深さ一閒の廂が附してあるから、七閒七面重層建築の如き外觀を呈し、廂の屋根は鳳凰堂の如く正面だけ中央部を高くして單調を破り、屋根の勾配緩にして軒二重となり、軒先に輕い反轉を有し、頗る輕妙溫雅の姿態を現はして居る。柱は本堂に圓柱を建て、廂には面取の角柱を使用し、桝組は何れも三斗を用ゐて居る。

內部は中央方一閒を內陣となし、周圍に高欄をめぐらして佛壇を造り、國寶の本尊阿彌陀佛を安置して居る。相好圓滿、その形式はいはゆる定朝式で彌陀の定印を結び、西方淨土の主尊たる慈悲相に溢れて居る。內陣の柱には十二光佛を描き、寶相華文を配して居る。天井は內陣のみ折上組入天井となし、外陣は化粧屋根裏になつて居る。長押天井等皆彩繪を施し、天井下小壁には有名な天人の壁畫がある。この阿彌陀堂を宇治の鳳凰堂と比べると餘程簡素ではあるが、藤原時代に於ける阿彌陀堂建築の代表的遺構である。

藥師堂[國寶] 阿彌陀堂の前面に建つて居る。五閒四面、單層屋根は四注造本瓦葺で、軒端に反轉あるも、棟低く勾配急にして稍重厚の感がある。棟木の銘に「康正□□丙子七月二十日大行事英舜奉行」云々の墨書がある、桝組蟇股及天井等には室町時代の樣式を示して居るが、全體の形狀は卻つて古調を帶びて居る。

內部は中央三閒二面を內陣となし、その天井は折上格天井である。奧壁に接して須彌壇を設け、中央の厨子に本尊藥師佛を安置し、また厨子の左右には十二神將の立像が安置されて居る。

藥師如來立像[國寶] 高さ約二尺七寸、細く兩眼を開き、面貌崇高にして、全身素地のまゝで、衣には精巧な截金文樣で卍字つなぎの織文をあらはし、全體に於てよく藤原時代の優美な特色を示して居る。左右の十二紳將立像は寺傳に運慶の作と傳へ、姿態表情頗る生氣に富める鐮倉時代の作でこれも國寶である。

醍醐・山科のみどころ