天智天皇山科陵

天智天皇山科御陵
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

京阪電車京津線御陵の東北1km、山科駅の西北1.5km。東山区山科御陵にあります。山科鏡山陵とも称し、上円下方の御塚で、表面に砂礫を葺き高さ10m、下方は三壇に築かれて約84m²あり、最下段の壇上に玉垣を巡らせています。中大兄皇子として知られ、皇極、孝徳、斎明の三朝に皇太子として摂政にあたって20年、白雉7年(668年)御位につかれ、同10年(671年)12月、46歳をもって崩御されました。在世中の事蹟は非常に多く、特に蘇我氏の誅滅、大化の改新などはその主なものです。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
天智天皇山科陵
かな
てんぢてんのうやましなのみささぎ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市山科区御陵上御廟野町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

京阪電車京津線御陵の東北一粁、山科驛の西北一粁半。東山區山科御陵にある。一に山科鏡山御陵とも稱し、上圓下方の御塚で、表面に砂礫を葺き高さ一〇米、下方は三壇に築かれて約八四米四方あり、最下段の壇上に玉垣を繞らして居る。天皇御諱は中大兄、皇極、孝德、齋明の三朝に皇太子として攝政たりし事二十餘年、白雉七年御位に卽き給ひ、同十年十二月、御壽四十六を以て崩じ給うた。御在世中の御事蹟頗る多く、殊に蘇我氏の誅滅、大化の改新等はその主なるものである。

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