醍醐天皇後山科陵

醍醐天皇後山科御陵
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

山科駅の南4km、伏見区醍醐にあります。御陵は山陵を築かず、平地に御宝穴を掘り、御遺骸を納め奉って上に、卒塔婆三基をたて小濠を巡らせましたが、現在円形の御塚があって周囲に濠あり、土手を築き生垣をめぐらしています。天皇は宇多天皇第一皇子で13歳にして即位され、藤原時平、菅原道真などが補佐しました。平安時代の延喜元年(901年)時平らに命じて三代実録を撰ばせ、同5年(905年)紀友則、紀貫之等に古今和歌集を撰ばせました。同7年(907年)には延喜格、また延長5年(927年)には延喜式がそれぞれなりました。御在位34年、延長8年(930年)、46歳で崩御されました。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
醍醐天皇後山科陵
かな
だいごてんのうのちのやましなのみささぎ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市伏見区醍醐古道町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

山科驛の南四粁、伏見區醍醐にある。御陵は山陵を築かず、平地に御寶穴を掘り、御遺骸を歛め奉つて上に、卒塔婆三基をたて小隍を繞らしたが、今圓形の御塚があつて周圍に隍あり、土手を築き生垣をめぐらして居る。天皇は宇多天皇第一皇子御歲十三にして卽位し給ひ、藤原時平、菅原道眞等補佐し奉つた。延喜元年時平等に命じて三代實錄を撰ばしめ、同五年紀友則、紀貫之等をして古今和歌集を撰せしめ給うた。同七年には延喜格、また延長五年には延喜式がそれぞれ成つた。御在位三十四年、延長八年、御壽四十六で崩じ給うた。

醍醐・山科のみどころ