花山天文台

花山天文臺
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

京阪電車京津線蹴上の南2km、山科北花山大峰町に属し、海按221mの花山山の山頂約2万6,600m²を占めています。西からは清水山に妨げられ望むことができません。天文台は京都帝国大学に属し、ここに通ずる花山道路、すなわち約6m幅の自動車道路は昭和2年(1927年)伏見工兵隊によって開鑿され、その主要点8か所にトレミー曲路、オーマー谷、プルーノ点、コペルニクス転回、ケプラー点、ガリレオ道、ニュートン凹路、ハーシェル道の名を付けてあります。天文台建築の設計は昭和2年から3年(1928年)にかけて行われ、建物は本館、別館、子午線館、太陽館、宿舎からなります。主な天文機械はクク製口径30cm屈折式赤道儀、ザルトリウス製口径18cm屈折式望遠鏡、ハイデ製口径10cm屈折式赤道儀、カルヴー作口径46cm反射式赤道儀望遠鏡、ブラシア製口径25cm反射式赤道儀望遠鏡、中村作極軸式反射望遠鏡、バンベルヒ製口径90mm子午儀、ザルトリウス製20cm環天文経緯儀、グラブ製口径42cmシーロスタット、グラブ製口径30cm日蝕用シーロスタット、ザルトリウス製シデロスタット、シュタインハイル製口径20cm長焦点反射鏡、アスカニア製分光太陽写真儀、リーフラー製天文用標準時計です。ザルトリウス天文経緯儀を本館屋上の露台にある南観測台上に載せて子午線観測を試みた結果、天文台の星学位置は東経135度47分33秒(9時3分10.2秒)、北緯34度59分35秒です。天文台は毎年2月、5月、6月、10月および11月の日曜夜は公開し、昼間は一般に公開していません。団体の参観はあらかじめ台長へ書面で申し出て、許可を受けましょう。

※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行

令和に見に行くなら

名称
花山天文台
かな
かざんてんもんだい
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
京都府京都市山科区北花山大峰町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

京阪電車京津線蹴上の南二粁、山科北花山大峰町に屬し、海按二二一米の花山山の山頂約二六六アールを占めて居る。西方からは淸水山に妨げられ望見することが出來ない。天文臺は京都帝國大學に屬し、こゝに通ずる花山道路、卽ち約六米幅の自動車道路は昭和二年伏見工兵隊によつて開鑿され、その主要點八箇所にトレミー曲路、オーマー谷、プルーノ點、コペルニク轉回、ケプラー點、ガリレオ道、ニウトン凹路、ハーシエル道の名を附けてある。天文臺建築の設計は昭和二年から三年にかけて行はれ、建物は本館、別館、子午線館、太陽館、宿舍より成る。主な天文機械はクク製口徑三〇糎屈折式赤道儀、ザートリウス製口徑一八糎屈折式望遠鏡、ハイデ製口徑一〇糎屈折式赤道儀、カルヴー作口徑四六糎反射式赤道儀望遠鏡、ブラシア製口徑二五糎反射式赤道儀望遠鏡、中村作極軸式反射望遠鏡、バルベルヒ製口徑九〇粍子午儀、ザートリウス製二〇糎環天文經緯儀、グラブ製口徑四二糎シーロスタト、グラブ製口徑三〇糎日蝕用シーロスタト、ザートリウス製シデロスタト、シタインハイル製口徑二〇糎長焦點反射鏡、アスカニア製分光太陽寫眞儀、リーフラー製天文用標準時計である。ザートリウス天文經緯儀を本館屋上の露臺にある南觀測臺上に載せて子午線觀測を試みた結果、天文臺の星學位置は東經一三五度四七分三三秒(九時三分一〇・二秒)、北緯三四度五九分三五秒である。天文臺は每年二月、五月、六月、十月及び十一月の日曜夜は公開し、晝閒は一般に公開しない。團體の參觀は豫め臺長へ書面にて申出で、許可を受けるがよい。

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