勧修寺
昭和初期のガイド文
山科駅の南約4km、山科勧修寺にあり、自動車の便があります。平安時代の昌泰3年(900年)の創建、醍醐天皇の勅願寺でした。古来この寺は朝廷および藤原氏の崇敬が厚く、住職は代々法親王が入られ勘修寺門跡と称し、堂塔伽藍ことごとく壮麗を極めましたが、室町時代の文明2年(1470年)の兵火に遭い、その上豊臣秀吉の時に境内を縮小されました。その後徳川氏の時にようやく寺領が与えられ、回復再建されたものです。すなわち江戸時代中期の元禄10年(1697年)には明正天皇の旧殿を下賜されて書院とし、また延宝年間(1673~1681年)には仮内侍所を賜り本堂としました。両方とも現存していますが書院は国宝に指定されています。
書院[国宝] 桁行前面六間後面九間、梁間東側五間西側四間、単層、屋根入母屋造桟瓦葺の建築にして、江戸時代初期における書院造の好典型です。その襖および壁にはすべて土佐風の華麗な彩色画をもって装飾し、奥の室には竜田の紅葉、次の室には近江八景などが描かれています。筆者を土佐光起および同光成の筆と伝えています。
庭園 非常に広く、幽邃静寂の趣致に富み、その池は延喜式所載の栗栖野氷室の池と伝え、風光優麗です。
- 宝物
- 釈迦如来説法図[国宝] 一鋪 刺繍、醍醐天皇の寄進と伝え、華麗な彩色が見られ、その手法を見ると中国大陸の製作であることが明らかで、唐朝から宋朝の作と思われるもので、日本に現存する諸仏のなかで最も優秀な大作です。京都博物館出陳。
- 蓮華蒔絵経筥[国宝] 京都博物館出陳 一合
- 仁王経良宝号[国宝] 三帖
令和に見に行くなら
- 名称
- 勧修寺
- かな
- かじゅうじ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町27-6
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
山科驛の南約四粁、山科勸修寺にあり、自動車の便がある。昌泰三年の創建、醍醐天皇の敕願寺であつた。古來當寺は朝廷及藤原氏の崇敬厚く、住職は代々法親王入らせられ勘修寺門跡と稱し、堂塔伽藍悉く壯麗を極めたが、文明二年の兵燹に遭ひ、その上豐太閤の時に境內を縮小せしめられた。その後德川氏の時に漸く寺領與へられ、回復再建されたのである。卽ち元祿十年には明正天皇の舊殿を下賜されて書院となし、また延寶年閒には假內侍所を賜り本堂となした。兩方共現存して居るが書院は國寶に指定されて居る。
書院[國寶] 桁行前面六閒後面九閒、梁閒東側五閒西側四閒、單層、屋根入母屋造棧瓦葺の建築にして、江戶時代初期に於ける書院造の好典型である。その襖及壁には悉く土佐風の華麗な彩色畫を以て裝飾し、奧の室には龍田の紅葉、次の室には近江八景などが描かれて居る。筆者を土佐光起及同光成の筆と傳へて居る。
庭園 頗る廣く、幽邃靜寂の趣致に富み、その池は延喜式所載の栗栖野氷室の池と傳へ、風光優麗である。
- 寶物
- 釋迦如來說法圖[國寶] 一鋪 刺繍、醍醐天皇の寄進と傳へ、華麗な彩色を有し、その手法を見ると支那大陸の製作たること明かにして、唐朝より宋朝の作と思はれるもので、我が國に現存せる諸佛中最も優秀な大作である。京都博物館出陳。
- 蓮華蒔繪經筥[國寶] 京都博物館出陳 一合
- 仁王經良寶號[國寶] 三帖