日本中央標準時子午線標識

日本中央標準時子午線標識
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

人丸山上月照寺の入口にあります。明治43年(1910年)10月明石郡小学校教員一同が教育勅語煥発20週年記念のため、陸地測量部発行の地図に基づき、東経135度子午線通過の位置を示す花崗岩の標識を、明石町相生区裁判所前および明石郡平野村の2か所に建設したことがあります。しかし大正4年(1915年)経度に変動があることがわかり、標識の位置を変更する必要がありました。昭和3年(1928年)11月になり、明石市教育会は今上陛下御即位記念のため新たに子午線を測定して標識を再建しました。子午線の測定は京都帝国大学教授理学博士野満隆治氏に委嘱したので、同氏は県立明石中学校構内に観測台を設けて天測作業を行い、天文経度135度の線は観測台の西方角度にて18秒48、距離にて470mであることを決定しました。これに基づいて行われた陸上測量により、135度の子午線は相生町の旧標識から東103mにあたることとなりました。しかしその地点は将来鉄道の増設、電車線路の敷設などが予定されていたことから、人丸山上に建設されたものです。標識考案設計は神戸高等工業学校長宇田実氏が担当しました。頂冠の飾りとして日本を意味する蜻蛉を付し、その下笠の内に電灯4個を付し、表示飾は地球儀に型どり、東西南北に欧文にてEWSNの切抜文字を付し、SNの上に子と午の動物の形を付し、ほかの文字は象形的のエトウを付し、子午線にあたる部分には星章、下には子午線の文字を付してあります。相生町区裁判所前にあった標識は、昭和3年改測の新地点すなわち東103mのところへ移建してあります。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
明石子午線標

令和に見に行くなら

名称
日本中央標準時子午線標識
かな
にほんちゅうおうひょうじゅんじしごせんひょうしき
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
兵庫県明石市人丸町2-6
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

人丸山上月照寺の入口にあり。明治四十三年十月明石郡小學校敎員一同が敎育敕語煥發二十週年記念のため、陸地測量部發行の地圖に基づき、東經百三十五度子午線通過の位置を示す花崗岩の標識を、明石町相生區裁判所前及明石郡平野村の二ケ所に建設したことがある。然るに大正四年經度に變動あることが知れ、標識の位置を變更する必要があつた。昭和三年十一月に至り、明石市敎育會は今上陛下御卽位記念のため新に子午線を測定して標識を再建した。子午線の測定は京都帝國大學敎授理學博士野滿隆治氏に委囑したので、同氏は縣立明石中學校構內に觀測臺を設けて天測作業を行ひ、天文經度百三十五度の線は觀測臺の西方角度にて十八秒四八、距離にて四七〇米であることを決定した。これに基づいて行はれた陸上測量により、百三十五度の子午線は相生町の舊標識より東方一〇三米に當ることゝなつた。然しその地點は將來鐵道の增設、電車線路の直接等があるべきを以て、人丸山上に建設されたものである。標識考案設計は神戶高等工業學校長宇田實氏が擔當した。頂冠の飾として日本を意味する蜻蛉を附し、その下笠の內に電燈四箇を附し、表示飾は地球儀に型どり、東西南北に歐文にてEWSNの切拔文字を附し、SNの上に子と午の動物の形を附し、他の文字は象形的のエトウを附し、子午線に當る部分には星章、下には子午線の文字を附してある。相生町區裁判所前にあつた標識は、昭和三年改測の新地點卽ち東方一〇三米の處へ移建してある。

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