鶴満寺

鶴滿寺[天臺宗眞盛派]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電淀川下車、長柄町にあります。寺は江戸時代中期の延享年間(1744~1748年)、忍鎧上人の再興となり、寺宝の銅鐘は高さ72.7cmあまり、口径59.3cmあり、朝鮮鐘で撞座と飛天との中間にある短冊形の輪廓に次の陽鋳銘文があります。

太平十年二月日 寺棟梁□□□ 青金鐘入三百斤 長二尺四寸二

太平10年は遼の聖宗の太平10年と思われ、高麗の顕宗21年、日本では後一条天皇の頃、平安時代の長元3年(1030年)です。銘文の上方乳郭の中間に永和5年陰刻の追銘があり、もと長門普済寺の鐘だったものが、同寺退転後の元文中に土中から発掘され、寺門再興の際に毛利侯から寄進されたものといい、国宝に指定されています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
鶴満寺
かな
かくまんじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
大阪府大阪市北区長柄東1-3-12
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電淀川下車、長柄町にある。寺は延享年閒、忍鎧上人の再興にかゝり、寺寶の銅鐘は高さ二尺四寸餘、口徑一尺九寸六分あり、朝鮮鐘で撞座と飛天との中閒にある短册形の輪廓のうちに左の陽鑄銘文がある。

太平十年二月日 寺棟梁□□□ 靑金鐘入三百斤 長二尺四寸二

太平十年は蓋し遼の聖宗の太平十年で、高麗の顯宗二十一年、我が後一條天皇長元三年である。銘文の上方乳郭の中閒に永和五年陰刻の追銘があり、もと長門普濟寺の鐘であつたのが、同寺退轉後元文中に土中から發掘され、寺門再興の際毛利侯から寄進されたものと云ひ、國寶に指定されて居る。

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