本願寺別院(津村別院)

本願寺別院(津村別院)[眞宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電本町四丁目下車、本町四丁目にあります。北の御堂または表御堂とも呼ばれ、室町時代の明応5年(1496年)蓮如上人が東成郡生玉庄、玉造の地に一宇を創設しましたが、証如上人の頃に本山を山科から大阪に移し石山本願寺と称しました。その後顕如上人の時代に織田信長との交戦があり、転々としましたが、安土桃山時代の慶長2年(1597年)准如上人の時に現地に定め、同10年(1605年)石山の規模に本堂を改築しました。境内は広々とし、本堂、二尊堂、書院、対面所等の諸建物が並んでいますが、江戸時代中期の享保9年(1724年)の罹災後、宝暦・安永等の再建となるものです。江戸時代末期の慶応4年(1868年)仁和寺総督宮の御陣所となり、明治元年正月、大阪鎮台の仮営所となり、同年3月明治天皇行在所となり、続いて同5年大阪行幸の際の行在所となりました。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
本願寺別院(津村別院)
かな
ほんがんじべついん(つむらべついん)
種別
見所・観光
状態
状態違うが見学可
備考
昭和20年(1945年)の大阪大空襲で焼失、戦後に再建されています。
住所
大阪府大阪市中央区本町4-1-3
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

市電本町四丁目下車、本町四丁目にある。北の御堂または表御堂とも呼ばれ、明應五年蓮如上人東成郡生玉庄玉造の地に一宇を創めたが、證如上人の時本山を山科から大阪に移し石山本願寺と稱した。その後顯如上人の時織田信長との交戰後諸所に移轉したが、慶長二年准如上人の時現地に定め、同十年石山の規模によつて本堂を改築した。境內廣濶、本堂、二尊堂、書院、對面所等の諸建物が竝んで居るが、享保九年罹災後寶曆安永等の再建にかゝるものである。慶應四年仁和寺總督宮の御陣所となり、明治元年正月大阪鎭臺の假營所となり、同年三月明治天皇行在所となり、次て同五年大阪行幸の際の行在所となつた。

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