懐徳堂

懷德堂
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

市電内本町二丁目下車、豊後町にあります。府立貿易館に接し、大正5年(1916年)の建設となります。堂は江戸時代中期の享保9年(1724年)5月、中井甃庵が鴻池又四郎ほか4名の篤志家の協力を得て創設した町人の学問所で、三宅石庵を学主として開講したことに始まり、後に幕府の公認を得て規模を拡張し、石庵、甃庵、春楼、竹山等が相継ぎ学主となりましたが明治2年(1869年)学制改革とともに廃止となりました。大正2年(1913年)西村天囚、住友男爵、永田仁助らが働きかけてこれを再興復活して、現在支那学および社会公益に関する講義や講演会を開催し、10月5日には三宅石庵開講記念祭および記念講演会を行っています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行

令和に見に行くなら

名称
懐徳堂
かな
かいとくどう
種別
見所・観光
状態
現存しない
備考
戦後廃止されました。跡地は「マイドームおおさか」となっています。現在は大阪大学文学部が継承しているとされます。

日本案内記原文

市電內本町二丁目下車、豐後町にある。府立貿易館に接し、大正五年の建設にかゝる。堂は享保九年五月、中井甃庵が鴻池又四郞外四名の篤志家の協力を得て創設した町人の學問所で、三宅石庵を聘して開講したのに始まり、後幕府の允許を得て規模を擴張し、石庵、甃庵、春樓、竹山等相繼ぎ學主となつたが明治二年學制改革と共に廢せられた。大正二年西村天囚、住友男爵、永田仁助等相計り、これを再興復活して、今支那學及び社會公益に關する講義竝に講演會を開催し、十月五日には三宅石庵開講記念祭及び記念講演會がある。

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