甲府城跡

甲府城址

昭和初期のガイド文

甲府駅の東南に接しています。府中城あるいは一条小山城とも称し、自然の丘陵によって築かれ、もと内外二重の濠を有し規模が雄大でしたが、現在は内城の石塁と南側の内濠を残すのみです。城跡はその大部分が公園となり舞鶴公園と呼ばれています。

本城は鎌倉時代に一条忠頼の築いたもので、安土桃山時代の文禄中(1592~1596年)浅野氏がここに封ぜられ、その築城は慶長の末年に完成しました。関ヶ原の戦い後徳川家康の子義直、秀忠の子忠長、家光の子綱重などが代わる代わるここに封ぜられました。宝永、享保の修築により最も盛観を極めるに至りました。後幕府の直轄となり、城代、勤番が置かれて幕末に至りました。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
甲府城跡
かな
こうふじょうあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
山梨県甲府市丸の内1-5-4
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の東南に接す。府中城或は一條小山城とも稱し、自然の丘陵に據つて築かれ、もと內外二重の濠を有し規模が雄大であつたが、今は內城の石壘南側の內濠を存するのみである。城址はその大部分公園となり舞鶴公園と呼ばれて居る。

本城は鐮倉時代に一條忠賴の築いたもので、文祿中淺野氏がこゝに封ぜられ、その築城は慶長の末年に完成した。關ケ原役後德川家康の子義直、秀忠の子忠長、家光の子綱重等交々こゝに封ぜられた。寶永、享保の修築により最も盛觀を極めるに至つた。後幕府の直轄となり、城代、勤番が置かれて幕末に至つた。

甲府のみどころ