武田信虎の墓
武田信虎墓
昭和初期のガイド文
甲府駅の東北約2.3km、相川村の大泉寺境内本堂の北裏にあります。墓は武田信虎の廟の背後にあり、五輪塔で高さ1.5mばかりあります。武田信虎は信玄の父で室町時代の永正4年(1507年)甲斐の国主となり、同16年(1519年)躑躅ヶ崎に居館を建て国内の乱を平定し、しばしば兵を武、相、駿、信の間に出し武威を挙げました。天正2年(1574年)3月没し「大泉寺殿泰雲存康庵主」と諡しました。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 武田信虎の墓
- かな
- たけだのぶとらのはか
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 山梨県甲府市古府中町 大泉寺内
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の東北約二粁三、相川村の大泉寺境內本堂の北裏にある。墓は武田信虎の廟の背後にあり、五輪塔で高さ一米半(五尺)許りある。武田信虎は信玄の父で永正四年甲斐の國主となり、同十六年躑躅ケ崎に居館を建て國內の亂を平定し、屢々兵を武、相、駿、信の閒に出し武威を擧げた。天正二年三月卒し「大泉寺殿泰雲存康庵主」と諡した。