武田神社
武田神社[縣社]
昭和初期のガイド文
甲府駅の北2.5km、相川村躑躅ヶ崎館跡にあり、大正8年(1919年)の創建で、武田晴信(信玄)を祀ります。躑躅ヶ崎館は室町時代の永正16年(1519年)武田晴信の父信虎の造ったところで、晴信を経て勝頼まで3世60年間の居館でした。現在その土塁、塹濠、石垣を残し原状の大体が想像できます。
例祭は4月12日で、古式の神幸式が挙行され、武田24将に仮装した馬上の武者なども従い、県社八幡神社および県庁などに立寄り、遊亀公園の稲積神社へ渡御、市中大いに賑わいます。
宝物中には国宝の太刀および永禄の銘文ある厨子に納められた将軍大黒などがあります。
晴信は大永元年(1521年)に生まれ、天文10年(1541年)21歳の時父に(後半テキスト不明)
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 武田神社
- かな
- たけだじんじゃ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 山梨県甲府市古府中町2611
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の北二粁半、相川村躑躅ケ崎館址にあり、大正八年の創建で、武田晴信(信玄)を祀る。躑躅ケ崎館は永正十六年武田晴信の父信虎の造りし所で、晴信を經て勝賴まで三世六十年閒の居館であつた。今その土壘、塹濠、石垣を存し原狀の大體が察せられる。
例祭は四月十二日で、古式の神幸式が擧行され、武田二十四將に假裝した馬上の武者なども從ひ、縣社八幡神社及縣廳などに立寄り、遊龜公園の稻積神社へ渡御、市中大に賑ふ。
寶物中には國寶の太刀及永祿の銘文ある厨子に納められた將軍大黑などがある。
晴信は大永元年に生れ、天文十年二十一歲の時父に