金櫻神社

金櫻神社[縣社]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

昇仙峡の仙峨滝の東北2km、宮本村御岳にあります。はじめ北にそびえる金峯山の山頂に大己貴尊を祀り、後ここに分祀し、山頂の宮を本宮と呼び、ここにあるものを里宮と呼びました。武田氏および徳川氏の崇敬した神社で、現在の本殿および神楽殿などは江戸時代の建築ですが、本殿の東にある中宮および東宮は鎌倉時代の建築で国宝に指定されています。

中宮[国宝] 三間社流造、檜皮葺、前面に一間一面の大きな唐破風造の向拝があります。桝組は出三斗を用い円柱を立て、正面の唐破風をはじめ蟇股、桝組、外側の羽目板など至るところに精巧複雑な彫刻を施しすべて極彩色が加えられています。本殿の構造様式は鎌倉時代末期のものですが、向拝は室町時代の建築で、本殿の羽目板および脇障子などの彫刻は室町時代末期のものです。

東宮[国宝] 三間三面単層入母屋造、檜皮葺、前面に一間の向拝を付け、屋根の勾配は非常に急で隅軒は著しく反り、その形状は非常に雄大です。桝組は出三斗を用い円柱を立てています。内部前面一間通りは外陣で、後方二間通りの内陣には神座が設けられています。全体の構造非常に雄大で、鎌倉末期の特徴を現しています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
金櫻神社
かな
かなざくらじんじゃ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
山梨県甲府市御岳町2347
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

昇仙峽の仙峨瀧の東北二粁、宮本村御嶽にある。はじめ北方に聳ゆる金峯山の山頂に大己貴尊を祀り、後こゝに分祀し、山頂の宮を本宮と稱へ、こゝなるを里宮と稱した。武田氏及德川氏の崇敬した神社で、今の本殿及神樂殿などは江戶時代の建築であるが、本殿の東にある中宮及東宮は鐮倉時代の建築で國寶に指定されて居る。

中宮[國寶] 三閒社流造、檜皮葺、前面に一閒一面の大なる唐破風造の向拜がある。桝組は出三斗を用ゐ圓柱を立て、正面の唐破風をはじめ蟇股、桝組、外側の羽目板など至る所に精巧複雜なる彫刻を施し悉く極彩色が加へられて居る。本殿の構造樣式は鐮倉時代末期のものならんも、向拜は室町時代の建築で、本殿の羽目板及脇障子などの彫刻は室町時代末期のものであらう。

東宮[國寶] 三閒三面單層入母屋造、檜皮葺、前面に一閒の向拜を附け、屋根の勾配頗る急にして隅軒は著しく反り、その形狀頗る雄大である。桝組は出三斗を用ひ圓柱を立てゝ居る。內部前面一閒通りは外陣で、後方二閒通りの內陣には神座が設けられて居る。全體の構造頗る雄大で、鐮倉末期の特徵を現はして居る。

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