神戸港

神戶港
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

神戸は世界に知られている大商港です。港域の東は新在家の東角から南15度西に引いた線と、西は和田岬から北84度34分東に引いた線との2線を境界として、水面積は防波堤内約9.7km²、港界線内20km²で、海岸線延長は約15.6kmにおよびます。港内を分けて川崎鼻以南を兵庫港、以北を神戸港ということがあります。沿岸は荷揚場、倉庫地、工場地あるいは材料置場として利用されほとんど空き地はありません。この港の設備は明治元年(1868年)以来年を追って加わりました。同39年(1906年)税関海陸運輸連絡設備工事を起し、16年をかけて、大正10年度(1921年)に完成しました。明治43年(1910年)から防波堤の築造に着手しましたが、大正3年(1914年)に起こった欧洲大戦により港の内外貿易が急激に増加したため、設備の改良拡張の必要を感じ、同8年(1919年)以来第二期の工事を起し目下工事中です。工事完成の暁には防波堤は4か所におよび、突堤は兵庫突堤の3個を加えて11個となります。

船車連絡列車は2週に1回、日本郵船の欧洲定期船に連絡するため、神戸港駅と京都駅との間に運行しています。

※底本:『日本案内記 近畿篇 下(初版)』昭和8年(1933年)発行
神戸港

令和に見に行くなら

名称
神戸港
かな
こうべこう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
兵庫県神戸市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

神戶は世界に知られて居る大商港である。港域東は新在家の東角より南一五度西に引ける一線と、西は和田岬より北八四度三四分東に引ける一線との二線を境界とし、水面積は防波堤內約九方粁七、港界線內二〇方粁で、海岸線延長は約一五粁六に及ぶ。港內を分けて川崎鼻以南を兵庫港、以北を神戶港と云ふことがある。沿岸は荷揚場、倉庫地、工場地或は材料置場として利用され殆ど餘す所がない。本港の設備は明治元年以來年を逐うて加つた。同三十九年稅關海陸運輸連絡設備工事を起し、十六年を經て、大正十年度に完成した。明治四十三年來防波堤の築造に着手されたが、大正三年に起つた歐洲大戰は本港の內外貿易に急激な增加を來たしたから、設備の改良擴張の必要を感じ、同八年以來第二期の工事を起し目下工事中である。工事完成の曉には防波堤四箇所に及び、突堤は兵庫突堤の三箇を加へて十一箇となる。

船車連絡列車は二週一回日本郵船會社歐洲定期船に連絡するため、神戶港驛と京都驛との閒に運行して居る。

神戸のみどころ