西山御殿(西山荘)
西山莊
昭和初期のガイド文
常陸太田駅の西北約3km、丘陵の渓谷閑静なる地にあり、水戸の徳川光圀が江戸時代中期の元禄4年(1691年)隠退してから、その晩年を過したところです。最初の建物は文化年中(1804~1818年)焼失し、現存の家屋は天保年中(1830~1844年)斉昭が旧態を模して再建したものです。茅葺、建坪約40坪、間数9室、庭前に丘陵を取り入れ、池を掘り滝をかけ、規模は小さいですがが別天地となっています。庭内の宝庫には光圀の木像があります。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 西山御殿(西山荘)
- かな
- せいざんごてん(せいざんそう)
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 茨城県常陸太田市新宿町590
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
驛の西北約三粁、丘陵の溪谷閑靜なる地にあり、水戶の德川光圀が元祿四年隱退してから、その晚年を過した所である。最初の建物は文化年中燒失し、現存の家屋は天保年中齊昭が舊態を模して再建したものである。茅葺、建坪約四〇坪、閒數九室、庭前に丘陵を取り入れ、池を掘り瀧をかけ、規模は小さいが別天地をなして居る。庭內の寶庫には光圀の木像がある。