鑁阿寺

鑁阿寺[眞言宗豐山派]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

足利氏宅址にあり、鎌倉時代の建久年間(1190~1199年)足利義兼の創建となり、足利氏の氏寺でした。現在境内に大御堂、鐘楼、一切経蔵、楼門などの古建築が残っています。その内大御堂および鐘楼は鎌倉時代の建築で国宝に指定されています。

大御堂は俗に大日堂と称し、鑁阿寺の本堂で、五間五面入母屋造瓦葺の大建築です。後世補修されたこと数次におよび、近くは江戸時代中期の元文2年(1737年)に唐破風造の向拝を修築しましたが、円柱、虹梁、長押などの構造木割において、鎌倉時代の雄健な特徴を残しています。

毎年3月および9月の28、29の両日の大日如来祭礼および毎年2月節分会はともに賑わいます。節分会は鎧年越と称し古例により鎧武者の行列があります。

  • 宝物
  • 青磁花瓶[国宝] 1対
  • 青磁香炉[国宝] 1個
  • 以上東京帝室博物館出陳
  • その他古文書古器物などを多く蔵しています。
※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
鑁阿寺
かな
ばんなじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
栃木県足利市家富町2220
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

足利氏宅址にあり、建久年閒足利義兼の創建にかゝり、足利氏の氏寺であつた。今境內に大御堂、鐘樓、一切經藏、樓門などの古建築が存して居る。その內大御堂及鐘樓は鐮倉時代の建築で國寶に指定されて居る。

大御堂は俗に大日堂と稱し、鑁阿寺の本堂で、五閒五面入母屋造瓦葺の大建築である。後世補修されたこと數次に及び、近くは元文二年に唐破風造の向拜を修築したが、圓柱、虹梁、長押などの構造木割に於て、鐮倉時代の雄健なる特徵を存して居る。

每年三月及九月の二十八、二十九の兩日の大日如來祭禮及每年二月節分會は共に賑ふ。節分會は鎧年越と稱し古例により鎧武者の行列がある。

  • 寶物
  • 靑磁花甁[國寶] 一對
  • 靑磁香爐[國寶] 一個
  • 以上東京帝室博物館出陳
  • その他古文書古器物などを多く藏して居る。

足利・太田のみどころ