足利氏宅跡

足利氏宅址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

足利駅の西北約1km、市内鑁阿寺の境内がそれです。地域は平坦な市街の内にあって、杉、ヒノキなどが茂り、ほぼ方形の森となっていて、外側の道路に接して濠と土塁を巡らせ、四方に各門を構えて出入りできるようにしていますが、南を正面とし反橋を架け、ほかの三面には土橋が設けられています。この地は平安時代の久安6年(1150年)源義家の第三子義国(足利氏の組)が関東に謫された時居館を構えたところで、鎌倉時代の建久年間(1190~1199年)ここに鑁阿寺の創建されるまで足利氏の住宅でした。鑁阿寺の境内はすなわちその地を継承したもので、平安末期から鎌倉時代におけるこの地方豪族居住の構えを徴すべき貴重な指定の史蹟です。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
足利氏宅跡
かな
あしかがしたくあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
栃木県足利市家富町2220
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の西北約一粁、市內鑁阿寺の境內がそれである。その地域は平坦なる市街の內にありて、杉、檜など茂り、略ぼ方形の森をなし、外側の道路に接して濠と土壘を繞らし、四面には各門を構へて出入を便にせるが、南を正面となし反橋を架し、他の三面には土橋が設けられて居る。この地は久安六年源義家の第三子義國(足利氏の組)が關東に謫せられた時居館を構へた所で、建久年閒こゝに鑁阿寺の創建されるまで足利氏の住宅であつた。鑁阿寺の境內は卽ちその地を繼承したもので、平安末期から鐮倉時代に於けるこの地方豪族居住の構へを徵すべき貴重なる指定の史蹟である。

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