滝山城跡

瀧山城址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

青梅鉄道拝島駅の西南3.5km、八王子駅からは北約8km、秋川の多摩川に合するところに立つ丘陵の上にあり、本丸跡、二の丸跡、三の丸跡、千畳敷跡、城濠の跡などが残っています。室町時代の大永年中(1521~1528年)大石源三定重の築城によるもので、その子源左衛門定久および定久の養子氏照もここに居城しました。永禄12年(1569年)武田信玄がこれを攻めましたが陥れることができませんでした。氏照が八王子城に移ってから廃城となりました。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
滝山城跡
かな
たきやまじょうあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
東京都八王子市高月町
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

靑梅鐵道拜島驛の西南三粁半、八王子驛からは北約八粁、秋川の多摩川に合する所に峙つ丘陵の上にあり、本丸址、二の丸址、三の丸址、千疊敷址、城濠の址などを存して居る。大永年中大石源三定重の築城にかゝり、その子源左衞門定久及定久の養子氏照もこゝに居城した。永祿十二年武田信玄がこれを攻めたが陷れることが出來なかつた。氏照が八王子城に移つてから廢城となつた。

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