光明寺
光明寺[淨土宗西山光明寺派總本山]
昭和初期のガイド文
神足駅の西北2km、乙訓村粟生にあります。浄土宗祖法然上人の塔所です。はじめ法然の廟は京都大谷にありましたが、鎌倉時代の嘉禄3年(1227年)山門の徒に破られて太秦来迎院に移し、安貞2年(1228年)再び西山幸阿弥陀仏の庵で茶毘に付し、遺骨をここに埋めて廟堂を造ったのがこの寺のはじまりです。境内は景勝の地を占め諸堂巍然としてそびえ、常行念仏の声が常に絶えません。
宗祖廟は本堂背後の山上にあり、なかに五輪塔を建ててあります。本堂の南にある釈迦堂には釈迦如来立像を安置し、頬焼釈迦または御鉢の釈迦と称して世に名高いものです。
- 宝物
- 二河白道図[国宝] 絹本着色 一幅
- 四十九化仏弥陀来迎図[国宝] 絹本著色 一幅
- 千手観音立像[国宝] 木造 一体
※底本:『日本案内記 近畿篇 上(初版)』昭和7年(1932年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 光明寺
- かな
- こうみょうじ
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
神足驛の西北二粁、乙訓村粟生にある。淨土宗祖法然上人の塔所である。始め法然の廟は京都大谷にあつたが、嘉祿三年山門の徒に破られて太秦來迎院に移し、安貞二年再び西山幸阿彌陀佛の庵で茶毘に附し、遺骨をこゝに埋めて廟堂を造つたのが當寺の濫觴である。境內景勝の地を占め諸堂巍然として聳え、常行念佛の聲が常に絕えない。
宗祖廟は本堂背後の山上にあり、內に五輪塔を建ててある。本堂の南にある釋迦堂には釋迦如來立像を安置し、頬燒釋迦または御鉢の釋迦と稱して世に名高い。
- 寶物
- 二河白道圖[國寶] 絹本着色 一幅
- 四十九化佛彌陀來迎圖[國寶] 絹本著色 一幅
- 千手觀音立像[國寶] 木造 一軀