義農作兵衛墓
義農作兵衞墓
昭和初期のガイド文
南郡中駅の北4kmあまり、伊予鉄道電気松前の北約200m、松前町字筒井にあり、南郡中から自動車の便があります。農夫作兵衛は江戸時代中期の享保17年(1732年)の大飢饉に明年の種子が無くなることを怖れ、その父および子を餓死させ、自身もまた村のため一俵の麦を枕として餓死し農の大義を明らかにしました。墓は江戸時代後期の安永5年(1776年)藩庁の建立になり、別に大正元年(1912年)建立の碑があります。
※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 義農作兵衛墓
- かな
- ぎのうさくべえのはか
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 愛媛県伊予郡松前町筒井
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
南郡中驛の北四粁餘、伊豫鐵道電氣松前の北約二〇〇米、松前町字筒井にあり、南郡中から自動車の便がある。農夫作兵衞は享保十七年の大飢饉に明年の種子が無くなることを怖れ、その父及子を餓死させ、己もまた村の爲め一俵の麥を枕として餓死し農の大義を明にした。墓は安永五年藩廳の建立に成り、別に大正元年建立の碑がある。