足立重信の墓

足立重信墓
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

松山駅の東北約2.5km、市内山越の来迎寺境内にあります。重信は加藤嘉明の重臣で、松山築城のとき石手川を改修し、もと湯山村から石手寺のそばを流れ、湯渡を径て勝山の南麓に沿って、吉田浜にて海に注いでいたのを、現在の河道に改めて利水の功を挙げ、また松山城廓の経営に努力し、寛永2年亡くなりました。大正年間従五位を贈られました。この寺の境内にその頌功記念碑が建っています。

※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行

令和に見に行くなら

名称
足立重信の墓
かな
あだちしげのぶのはか
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
愛媛県松山市御幸1-602 来迎寺内
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の東北約二粁半、市內山越の來迎寺境內にある。重信は加藤嘉明の重臣で、松山築城のとき石手川を改修し、もと湯山村から石手寺の傍を流れ、湯渡を徑て勝山の南麓に沿ひ、吉田濱にて海に注いで居たのを、現在の河道に改めて利水の功を擧げ、また松山城廓の經營に努力し、寬永二年死んだ、大正年閒從五位を贈られた。この寺の境內にその頌功記念碑が建つて居る。

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