伊予絣
伊豫絣
昭和初期のガイド文
松山市を中心産地とし、その付近町村の最重要生産品で年額200万反あります。その起源は120年ほど前の文化年中(1804~1818年)に温泉郡垣生村今出の鍵谷かな女が創案したもので、日本最古の木綿絣です。その後漸次改良を加え、その機織が副業として適し、また絣が安価で大衆向きであるため大いに需要を増し、大正の最盛期には280万反、900万円に達しました。近年業界の不振で減額はしましたがなお重要物産で、松山市の昭和5年(1930年)の産額100万反、175万円です。
※底本:『日本案内記 中国・四国篇(初版)』昭和9年(1934年)発行
令和に見に行くなら
- 名称
- 伊予絣
- かな
- いよかすり
- 種別
- 見所・観光
- 状態
- 状態違うが見学可
- 備考
- 伊予かすり会館の場所を示しておきます。
- 住所
- 愛媛県松山市久万ノ台1200
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
松山市を中心產地とし、その附近町村の最重要生產品で年額二百萬反ある。その起源は百二十餘年前の文化年中に溫泉郡垣生村今出の鍵谷かな女の創案で、日本最古の木綿絣である。その後漸次改良を加へ、その機織が副業として適し、また絣が安價大衆向である爲大いに需要を增し、大正の最盛期には二百八十萬反、九百萬圓に達した。近年業界の不振で減額はしたが尙重要物產で、松山市昭和五年の產額百萬反百七十五萬圓である。