江田船山古墳

江田船山古墳
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

高瀬駅の東北8km、玉名郡江田村江田集落の西南0.5kmの高台にあり、自動車の便があります。前方後円墳で西面し、三段に築造され、長軸約45m、埴輪円筒が残り、後円部の中央に西面して屋根形横口式組合石棺があり、方形の戸口を開き石栓がそばに遺存しています。明治6年(1873年)発掘され、鏡六面、勾玉、管玉、玻璃玉、鉄製甲冑、同頚鎧残欠、直刀14口、剣7口、同装飾金具、槍身、鉄鏃、帯金具、金銅冠残欠、金環、純金製耳節、金銅沓1対、鉄鐙、環鈴、金銅鏡板付轡斎瓮土器等の非常に多くの遺物が出土しました。鏡、金銅製遺物等はいずれも製作優秀で、直刀身のひとつには鎺本の孔の周囲に一種の花紋形を、また刀背に近く羽翼をもつ馬の図象を銀で象嵌し、刀背には銘文が同じく銀象嵌されています。

これらの遺物は東京帝室博物館に収蔵され、またこの古墳に立てられた石人は付近の祠堂内にあります。この古墳はかつては魏志倭人像に登場する女王卑弥呼またはその一族の墳墓とも考えられていましたが、種々の出土遺物の総合的研究から結局は中国六朝中期、西暦6世紀前後に造られ、朝鮮、中国に密接な関係をもった豪族の墳墓であろうということに帰着しました。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
江田船山古墳
かな
えたふなやまこふん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
熊本県玉名郡和水町江田
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

高瀨驛の東北八粁、玉名郡江田村江田部落の西南半粁の高臺にあり、自動車の便がある。前方後圓墳で西面し、三段に築造され、長軸約四五米、埴輪圓筒存し、後圓部の中央に西面して屋根形橫口式組合石棺あり、方形の戶口を開き石栓が傍に遺存して居る。明治六年發掘せられ、鏡六面、勾玉、管玉、玻璃玉、鐵製甲冑、同頚鎧殘缺、直刀十四口、劍七口、同裝飾金具、槍身、鐵鏃、帶金具、金銅冠殘缺、金環、純金製耳節、金銅沓一對、鐵鐙、環鈴、金銅鏡板付轡齋瓮土器等の夥だしき遺物が出土した。鏡、金銅製遺物等は何れも製作優秀なるものに屬し、直刀身の一には鎺本の孔の周圍に一種の花紋形を、また刀背に近く羽翼を有する馬の圖象を銀で象嵌し、刀背には銘文が同じく銀象嵌せられて居る。

これ等の遺物は東京帝室博物館に收藏せられ、またこの古墳に樹てられた石人は附近の祠堂內にある。この古墳は曾ては魏志倭人像に見ゆる女王卑彌呼またはその一族の墳墓にも擬定せられたが、種々なる出土遺物の綜合的硏究から畢竟支那六朝中期、西曆第六世紀前後に營まれ、朝鮮、支那に密接な關係を有した豪族の墳墓であらうと云ふ事に歸着した。

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