繁根木八幡宮

繁根木八幡
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

高瀬駅の東1km、高瀬町繁根木にあり自動車の便があります。村上天皇の頃、平安時代の応和2年(962年)山城石清水八幡を勧請したところと伝え、楼門は江戸時代前期の寛文年間(1661~1673年)の建築で正面の額は細川重賢の筆です。明治10年(1877年)薩軍の高瀬攻撃の際、官軍の陣地として死守されました。境内に貝塚があり、土器破片等を出土し、社殿後方には墓地内に三尊仏を刻し、永禄11年(1568年)補陀落渡海に関する銘文があるものが残っていて、また古墳あり、かつて短甲、兜、頚鎧、環頭太刀、地製腕輪等を出土しました。ヘギ石の小石室が残っています。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
繁根木八幡宮
かな
はねぎはちまんぐう
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
熊本県玉名市繁根木188
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

高瀨驛の東一粁、高瀨町繁根木にあり自動車の便がある。村上天皇應和二年山城石淸水八幡を勸請した所と傳へ、樓門は寬文年閒の建築で正面の額は細川重賢の筆である。明治十年薩軍の高瀨攻擊の際、官軍の陣地として死守された。境內に貝塚存し、土器破片等を出し、社殿後方には墓地內に三尊佛を刻し、永祿十一年補陀落渡海云々の銘文あるもの存し、また古墳あり、曾て短甲、兜、頚鎧、環頭太刀、地製腕輪等を出した。ヘギ石の小石室が殘つて居る。

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