廣福寺

廣福寺[曹洞宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

高瀬駅の北6km、玉名郡石貫村石貫にあり自動車の便があります。鎌倉時代の元徳2年(1330年)菊池武時の創建で大智禅師の開山です。大智は宇土郡如来寺の僧で元に渡航し、径山寺で7年過ごし、帰航の途中逆風に遭って高麗に漂着し、3年留まった後の正中元年(1324年)帰朝し、瑩山紹瑾和尚に伝法し、菊池郡穴河に聖護寺を建立しました。菊池武時が国中の諸士と不和となりあちこちで戦っても戦果なく、ここへ来て大智に頼ったので聖護寺に隠し置き、自ら上洛して本領安堵の綸旨を得て下向したので、武時は国内を治平することができたということで、その報恩のためにこの寺を建立したといいます。大智は後に肥前加津佐に円通寺を建立し、そこで没しました。寺宝に大智禅師墨蹟(正平19年5月23日)その他延元3年3月17日付菊池武重の書状をはじめ、武士、武光、兼朝(元朝)、持朝、軍朝、政朝等菊池氏歴代の関係文書等30通あまりを所蔵しています。

この寺から西1.5kmの観音ヶ岳にある寺跡は京都泉涌寺の俊芿(月輪大師)の故蹟で、俊芿が入宋以前に開いて住み、帰朝以後も住んだ事のある筒岳正法寺の遺跡です。

※底本:『日本案内記 九州篇(六版)』昭和13年(1938年)発行

令和に見に行くなら

名称
廣福寺
かな
こうふくじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
熊本県玉名市石貫1379
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

高瀨驛の北六粁、玉名郡石貫村石貫にあり自動車の便がある。元德二年菊池武時の創建で大智禪師の開山である。大智は宇土郡如來寺の僧で元に航し、徑山寺に淹留する事七箇年、歸航の途次逆風に遭ひて高麗に漂着し、留る事三年にして正中元年歸朝し、瑩山紹瑾和尙に傳法し、菊池郡穴河に聖護寺を建立したが、恰も菊池武時國中の諸士と不和にして諸所に戰ふといへども利あらず、來つて大智に賴つたので聖護寺に隱し置き、自ら上洛して本領安堵の綸旨を請得て下向したので、武時は國內を治平する事が出來たから、その報恩のために本寺を建立したと云ふ。大智後に肥前加津佐に圓通寺を建立し、彼處にて示寂した。寺寶に大智禪師墨蹟(正平十九年五月廿三日)その他延元三年三月十七日付菊池武重の書狀を始め、武士、武光、兼朝(元朝)、持朝、軍朝、政朝等菊池氏歷代の關係文書等三十餘通を所藏して居る。

この寺から西一粁半の觀音ケ嶽にある寺址は京都泉涌寺の俊芿(月輪大師)の故蹟で、俊芿が入宋以前に開いて住み、歸朝以後も住んだ事のある筒嶽正法寺の遺址である。

荒尾・玉名のみどころ