西蓮寺

西蓮寺[天臺宗]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

鹿島参宮鉄道玉造駅の南約6km、霞ヶ浦の東岸玉川村出沼の丘上にあり、浜駅および高浜駅から自動車の便があります。奈良時代の延暦年間(782~806年)僧最仙の創建と伝え、しばしば火災に遭いました。現在本堂、常行堂、鐘楼、仁王門および相輪橖があります。本堂、常行堂および鐘楼は明治年間(1868~1912年)の建築ですが、仁王門は室町時代の建築で、三間一戸単層の山門で、屋根は四注造瓦葺です。桝組は唐様三手先を用い、中備に蓑束を立て、木鼻には簡素な絵様彫刻が施されています。蟇股は後面中央にのみ嵌装されていますが、その形状は珍らしく製作優秀にして、その両端はアカンサスのように巻き上り、内部には簡単な樹葉の彫刻が加えられています。屋根は近世改造されて、軸部の構造とやや調和を欠き、その他後世補われたところもありますがなお室町時代の特徴を残し国宝に指定されています。

相輪橖は常行堂の前面にあり、高さ約10m、木心に青銅板を張り、頂上に五輪、宝珠および円輪を冠し、錫杖形をしています。鎌倉時代の建設となり、元寇の役の記念塔と伝えています。塔身には多くの人名が刻記されていますが、それは恐らく寄進した人々の名であると思われます。毎年9月24日から30日に至る一週間常行三昧と称する古来の法会が行われ、俗に西蓮寺市といい、新仏の位牌を常行堂に納めるもの数千に達し、僧侶は昼夜絶えず阿弥陀経を読誦しながら堂内をめぐり、境内は各種の売店をもって満たされ、多くの日常品を販売し大いに賑わうといいます。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
西蓮寺
かな
さいれんじ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
茨城県行方市西蓮寺504
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

鹿島參宮鐵道玉造驛の南約六粁、霞ケ浦の東岸玉川村出沼の丘上にあり、濱驛及高濱驛から自動車の便がある。延曆年閒僧最仙の創建と傳へ、屢々火災に罹つた。今本堂、常行堂、鐘樓、仁王門及相輪橖がある。本堂、常行堂及鐘樓は明治年閒の建築であるが、仁王門は室町時代の建築にして、三閒一戶單層の山門で、屋根は四注造瓦葺である。桝組は唐樣三手先を用ゐ、中備に蓑束を立て、木鼻には簡素なる繪樣彫刻が施されて居る。蟇股は後面中央にのみ嵌裝されて居るが、その形狀珍らしく製作優秀にして、その兩端はアカンサスの如く卷き上り、內部には簡單なる樹葉の彫刻が加へられて居る。屋根は近世改造されて、軸部の構造と稍調和を缺き、その他後世補はれた所もあるが尙室町時代の特徵を存し國寶に指定されて居る。

相輪橖は常行堂の前面にあり、高さ約一〇米(三丈三尺)、木心に靑銅板を張り、頂上に五輪、寶珠及圓輪を冠し、錫杖形をなして居る。鐮倉時代の建設にかゝり、元寇の役の記念塔と傳へて居る。塔身には多くの人名が刻記されて居るが、それは恐らく寄進せし人々の名であらう。每年九月二十四日より三十日に至る一週閒常行三昧と稱する古來の法會が行はれ、俗に西蓮寺市と云ひ、新佛の位牌を常行堂に納むるもの數千に達し、僧侶は晝夜絕えず阿彌陀經を讀誦しながら堂內をめぐり、境內は各種の賣店を以て滿たされ、多くの日常品を販賣し大に賑ふと云ふ。

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