常陸国分寺跡

常陸國分寺址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

石岡駅の西北1km、国分寺境内にあり、自動車の便があります。奈良時代の天平年間(729~749年)創建の金堂、講堂などの跡が残ります。金堂跡は薬師堂の背後にある土壇上に、礎石約10個を遺存し、その北約30mを隔てた樹林のなかに講堂跡の礎石が十数箇残っています。中門跡は楽師堂の南約80mを隔てたところにあり、ここにはもと江戸時代後期の宝暦年間(1751~1764年)の再建にかかる仁王門がありましたが、明治年間に焼失して礎石と敷石を残しています。現在の国分寺は新義真言宗に属し、江戸時代幕府の朱印地で、諸堂宇備して繁栄しましたが、再度の火災で旧観を失いました。境内に国分寺旧跡碑その他の碑石があり、遺跡は史蹟として指定されています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
常陸国分寺跡
かな
ひたちこくぶんじあと
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
茨城県石岡市府中5-1
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

驛の西北一粁、國分寺境內にあり、自動車の便がある。天平年閒創建の金堂、講堂などの址を存する。金堂址は藥師堂の背後に織いた土壇上に、礎石約十箇を遺存し、その北約三〇米を距つた樹林中に講堂址の礎石が十數箇殘つて居る。中門址は樂師堂の南約八〇米を距てた處にあり、こゝにはもと寶曆年閒の再建にかゝる仁王門があつたが、明治年閒に燒失して礎石と敷石を殘して居る。現時の國分寺は新義眞言宗に屬し、江戶時代幕府の朱印地で、諸堂宇備はり繁榮したが、再度の火災に舊觀を失つた。境內に國分寺舊址碑その他の碑石があり、遺址は史蹟として指定されて居る。

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