草津温泉
昭和初期のガイド文
草津鉄道の終点です。白根山の麓、海抜1,200mの高原地、昔から有名な温泉場として知られ、温泉番付にも西の有馬と並んで、横綱の位置に据えられていましたが、日本医界の慈父ベルツ博士が「草津は単にその湧出量の多さだけではなく、理化学的療養地として好適だということ、日本全国で比べるものがない」と推賞してから、温泉の効能以外、さらに気候療養地として知られることとなりました。
ここの由来はかなり古く、光泉寺の縁起には奈良時代の養老年間(約1,200年前)に行基菩薩が薬師如来の示現によって発見したと伝えていて、源頼朝も鎌倉時代の建久4年(1193年)浅間の裾の巻狩の折に来浴したと伝えられ、その湯は白旗の湯と呼ばれて今も残っています。安土桃山時代の文禄年間(1592~1596年)には豊臣秀吉も訪ねたいと思っていたようで、これはついに実現されませんでしたが御先触の文書が今に残っています。
温泉は湧き口数か所あり、主要なものは熱の湯、松の湯、白旗の湯、鷺の湯、地蔵の湯の5つで、いずれも硫酸を多く含み、その他硫酸カルシウム、硫酸ナトリウム、硫酸カリウム、塩酸、硫酸アルミニウムなども含有しています。温度が高く摂氏54~59度。温泉に伴い噴出するガスの主なものは水蒸気のほかに硫化水素があります。温泉の沈澱物は硫黄を主とし、少量の珪華、硫酸鉄もあります。温泉中の生物は濃緑色の藻類で、鉄バクテリヤ、硫黄バクテリヤは見られません。
旅館の内湯のほか、時間湯と呼ばれる外湯が5か所もあり、1日4回湯長の指揮の下に、温泉に一定の温度を保たせて規律的に入浴します。その勇壮な光景は、草津独特の奇観です。温泉は花柳病、皮膚病に特効ありといわれ、胃腸病、眼疾、痔疾、リウマチ、神経衰弱などにも効くといいます。散策地には賽の河原、嫗仙滝、常布ノ滝、白根神社などがあり、白根山へも往復7~8時間で上下することができます。旅館は大東館、望雲館、日新館、一井、大阪屋、草津ホテルほか12~13軒、別に自炊客を主とするものが60軒あまりあります。
草津からは白根山を越えて万座温泉へ下る道もあり、渋峠を越えて信州の渋の温泉郷に下る道もあり、花敷温泉を経て四万温泉へ行く山道もあり、暮坂峠を越えて沢渡温泉へ行く道もあり、長野原を経て川原湯温泉へは自動車が通じています。
令和に見に行くなら
- 名称
- 草津温泉
- かな
- くさつおんせん
- 種別
- 温泉
- 状態
- 現存し見学できる
- 住所
- 群馬県吾妻郡草津町
- 参照
- 参考サイト(外部リンク)
日本案内記原文
草津鐵道の終點である。白根山の麓、海拔一、二〇〇米の高原地、昔から有名な溫泉場として知られ、溫泉番附にも西の有馬と竝んで、橫綱の位置に据ゑられて居たが、日本醫界の慈父ベルツ博士が「草津は啻にその湧出の量の多大なるのみならず、、理化學的療養地として適當なること、日本全國にその比を見ず」と推賞してから、溫泉の效能以外、更に氣候療養地として知らるゝことゝなつた。
こゝの由來は可なり古い光泉寺の緣起には養老年閒(約千二百年前)に行基菩薩が藥師如來の示現に依つて、發見したと傳へて居り、源賴朝も建久四年淺閒の裾の卷狩の折來浴したと傳へられ、その湯は今に白旗の湯と稱せられて殘つて居る。文祿年閒には豐臣秀吉も來浴の志があつた。これは遂に實現されなかつたが御先觸の文書が今に殘つて居る。
溫泉は湧き口數ケ所あり、主要なるものは熱の湯、松の湯、白旗の湯、鷺の湯、地藏の湯の五で、何れも硫酸を多く含み、その他硫酸カルシウム、硫酸ナトリウム、硫酸カリウム、鹽酸、硫酸アルミニウムなども含有して居る。溫度高く攝氏五四度乃至五九度。溫泉に伴い噴出する瓦斯の主なるものは水蒸氣の外に硫化水素がある。溫泉の沈澱物は硫黃を主とし、少量の珪華、硫酸鐵もある。溫泉中の生物は濃綠色の藻類で、鐵バクテリヤ、硫黃バクテリヤを見ない。
旅館の內湯の外、時閒湯と稱する外湯が五ケ所もあり、一日四回湯長の指揮の下に、溫泉に一定の溫度を保たしめて規律的に入浴する。その勇壯沈痛なる光景は、草津獨特の奇觀である。溫泉は花柳病、皮膚病に特效ありと云はれ、胃腸病、眼疾、痔疾、リウマチス、神經衰弱などにも效くと云ふ。散策地には賽の河原、嫗仙瀧、常布ノ瀧、白根神社などあり、白根山へも往復七、八時閒にて上下することが出來る。旅館は大東館、望雲館、日新館、一井、大阪屋、草津ホテル外十二三軒、別に自炊客を主とするもの六十軒餘ある。
草津からは白根山を越えて萬座溫泉へ下る道もあり、澁峠を越えて信州の澁の溫泉鄕に下る道もあり、花敷溫泉を經て四萬溫泉へ行く山道もあり、暮坂峠を越えて澤渡溫泉へ行く道もあり、長野原を經て川原湯溫泉へは自動車が通じて居る。