浅間山

淺閒山
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

長野、群馬2県にまたがる三重式の活火山で、最旧の火口壁はわずかに西の一部を残存しています。それが黒斑山と牙山です。第二次の火口壁も西部が高い隆起を示して前掛山となっています。現在の火口は第三次のものでお釜と称し、直径350mの円形を描き、その東辺が浅間山の最高地点になって海抜2,542mに達します。お釜は深さ60m、その底は堅実な熔岩からなり、火口壁から墜落した岩塊が累積しています。基底および側壁の裂罅からは絶えず水蒸気、亜硫酸ガス、硫化水素ガスを噴出し、時に灰または砂礫を飛散することがあります。火口から北に向かい江戸時代後期の天明3年(1783年)に流出した熔岩流が長く延びて、石塊がごろごろした荒野になっています。これを鬼の押出しといいます。その熔岩には冷却の際表面に多くの亀裂を生じて、カルメラ状になったものがあります。山側には放射谷の発達がまだ進まず、浮石、火山礫などが堆積し、麓には赤松の林があり、中腹以上は草本帯となり、山頂は新古の噴出岩のみです。浅間山には2つの寄生火山があります。東の小浅間山、南腹の石尊山がそれです。裾野は南北の両麓によく発達し、南を追分原、北を六里ヶ原といいます。

浅間山は昔から絶えず噴煙を上げ、しばしば破裂して灰を降らし、山麓の北に災害をおよぼしています。なかでも天明3年の噴火は特に有名で、降灰は関東、東北の地方におよび、熔岩を北へ押し流し、吾妻川を塞ぎ、続いて欠潰して利根川に流れ、沿岸の村を滅ぼし、多くの人や家畜の死傷を出しました。登山路には沓掛口、追分口、御代田口、小諸口の4方面ありますがなかでも替掛口と、小諸口が最も便利で、登山者の大部分はこの2途によります。

沓掛駅から山頂まで約13km、登路は比較的容易で婦女子でも登ることができます。沓掛駅から星野温泉、千ヶ滝遊園地を経て、小浅間山南腹にある峰の茶屋まで約7kmの間自動車が通じています。この道は軽井沢および沓掛から草津温泉への街道で、自動車のドライブにいい道です。

峰の茶屋は標高1,406mで、かなり眺望が開けています。ここから山頂まで約5kmです。峰の茶屋まで自動車を利用すれば頂上へわずか2時間半で登ることができます。茶屋から小浅間山の西側をからんで北行すると、小浅間と本峰の鞍部に出ます。この付近までは熔岩礫の間に小さなカラマツがぽつぽつと立ち並んで、立枯が目につきます。下草にはツカザクラや小イタドリなどが地表を覆っていますが、直ぐに全くの熔岩礫帯となって、登りはやや急坂になります。北側の裾野から草津温泉、草津白根山、四阿山などが望めます。頂上まで200~300mごとに距離標が建てられ、道は東北側をからんでいます。北側には鬼押出岩の熔岩流が黒く物凄く走っているのが見下されます。頂上間近に旧火口跡があり、その北側を廻って頂上へ一直線に登りますが、そのあたりは熔岩礫帯に火山灰が降り積もって足が埋まります。大きな岩がところどころに灰の中から頭をあげています。現火口壁東面が頂上の最高点です。火口は直径おおよそ400m、周囲約2.5km、深さはうかがい知れません。常に轟々と音が響き、噴煙は天を覆って凄まじい勢いです。火口を巡るには天候および風の方向を見定めないと煙に包まれることがあり、危険がないとしても不快です。現火口の南面に火口壁が廻り、またその西北に二重の弓状岩壁があります。近い方を前掛山、遠い方を牙山といって、ともに旧火口環壁の残留したものです。

浅間山頂は最も平易に登れる山岳の展望台で、眺望は非常に広いものがあります。東北には遠く日光および奥上州の諸山を、近く赤城山、榛名山を望み、北は草津白根山から四阿山に続く峰々からやや西に妙高山、戸隠山方面、西には北アルプスの連峰屏風のように立ち並び、間近に浅間から峰続きの黒斑、三方、湯ノ丸などの諸山を望み、南は千曲川の谷や上田平原を俯瞰して、八ヶ岳、秩父から南アルプス、富士山などが一望でき、東南近く妙義の奇峰および荒船火山を見下し、その東に関東平野が俯瞰されます。

御代田口への降路剣ヶ峰の下には湯ノ平といういいカラマツの林があり、ここから小諸口へも通じています。その下は次第にダケカンバの林となって美しく、付近には水も湧いて、火山とは思えない良いキャンプ地があります。そこからササやススキの裾野を下りつめると松林となって塩野に出ます。そこから御代田駅まで5km、頂上から御代田駅まで約14mで4時間で降られる。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
浅間山 信濃追分駅より望む

令和に見に行くなら

名称
浅間山
かな
あさまやま
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
長野県北佐久郡軽井沢町、群馬県吾妻郡嬬恋村ほか
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

長野、群馬二縣に跨る三重式の活火山で、最舊の火口壁は僅に西方の一部を殘存して居る。それが黑斑山と牙山である。第二次の火口壁も西部が著しき隆起を示して前掛山となつて居る。現今の火口は第三次のものでお釜と稱し、直徑三五〇米の圓形を描き、その東邊が淺閒山の最高地點になつて海拔二、五四二米に達する。お釜は深さ六〇米、その底は堅實なる熔岩より成り、火口壁から墜落した岩塊が累積して居る。基底及側壁の裂罅からは絕えず水蒸氣、亞硫酸瓦斯、硫化水素瓦斯を噴出し、時に灰または砂礫を飛散することがある。火口から北に向ひ天明三年に流出した熔岩流が長く延びて、石塊の磊々たる荒野になつて居る。これを鬼の押出しと云ふ。その熔岩には冷卻の際表面に數多の龜裂を生じて、カルメラ狀になつたものがある。山側には放射谷の發達まだ進まず、浮石、火山礫などが堆積し、麓には赤松の林があり、中腹以上は草本帶となり、山頂は新古の噴出岩のみである。淺閒山には二つの寄生火山がある。東方の小淺閒山、南腹の石尊山がそれである。裾野は南北の兩麓によく發達し、南を追分原、北を六里ケ原と云ふ。

淺閒山は昔から絕えず噴煙し屢々破裂して灰を降らし、山麓の北に災害を及ぼして居る。中にも天明三年の噴火は特に有名で、降灰は關東、東北の地方に及び、熔岩を北方へ押し流し、吾妻川を塞ぎ、續いて缺潰して利根川に流れ、沿岸諸村を滅ぼし、夥しき人畜の死傷を來した。登山路には沓掛口、追分口、御代田口、小諸口の四方面あるが中にも替掛口と、小諸口が最も便利で、登山者の大部分はこの二途に依る。

沓掛驛から山頂まで約一三粁、登路は比較的容易で婦女子にも登られる、沓掛驛から星野溫泉、千ケ瀧遊園地を經て、小淺閒山南腹にある峯の茶屋まで約七粁の閒自動車が通ずる。この道は輕井澤及沓掛から草津溫泉への街道で、自動車のドライブに良い道である。

峯の茶屋は標高一、四〇六米で、可なり眺望が展けて居る。こゝから山頂まで約五粁である。峯の茶屋迄自動車を利用すれば頂上へ僅か二時閒半で登られる。茶屋から小淺閒山の西側をからんで北行すると、小淺閒と本峯の鞍部に出る。この附近までは熔岩礫の閒に小さな落葉松がボツボツ立竝んで、立枯が目につく。下草にはつかざくらや小いたどりなどが地表を蔽つて居るが、直ぐに全くの熔岩礫帶となつて、登りはやゝ急坂になる。北側の裾野から草津溫泉、草津白根山、四阿山などが望まれる。頂上まで二、三百米每に距離標が建てられ、道は東北側をからんで居る。北側には鬼押出岩の熔岩流が黑く物凄く走つて居るのが見下される。頂上閒近に舊火口跡があり、その北側を廻つて頂上へ一直線に登るが、その邊は熔岩礫帶に火山灰が降り積つて足を沒する。大きな岩が處々に灰の中から頭をあげて居る。現火口壁東面が頂上の最高點である。火口は直徑凡そ四〇〇米、周圍約二粁半、深さ幾何か知れない。常に轟々たる響を聞き、噴煙は天を蔽うて凄じい。火口を巡るには天候及風の方向を見定めないと煙に包まれることがあり、危險がないにしても不快である。現火口の南面に火口壁が廻り、またその西北に二重の弓狀岩壁がある。近い方を前掛山、遠い方を牙山と云つて、共に舊火口環壁の殘留したものである。

淺閒山頂は最も平易に登れる山嶽の展望臺で、眺望は頗る廣い。東北には遠く日光及奧上州の諸山を、近く赤城山、榛名山を望み、北は草津白根山から四阿山に續く峯々からやゝ西に妙高山、戶隱山方面、西には北アルプスの連嶺屏風の如く立竝び、閒近に淺閒より峯續きの黑斑、三方、湯ノ丸などの諸山を望み、南は千曲川の谷や上田平原を俯瞰して、八ケ嶽、秩父から南アルプス、富士山などが一眸に集り、東南近く妙義の奇峯及荒船火山を見下し、その東に關東平野が俯瞰される。

御代田口への降路劔ケ峯の下には湯ノ平と云ふ良い落葉松の林があり、こゝから小諸口へも通ずる。その下は次第に嶽樺の林となつて美しく、附近には水も湧いて、火山らしい氣分のない良いキヤムプ地がある。そこから笹やすゝきの裾野を下りつめると松林となつて鹽野に出る。それから御代田驛まで五粁、頂上から御代田驛まで約一四粁で四時閒で降られる。

軽井沢・草津のみどころ