妙義山

妙義山
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

群馬県の西部に位置し、その東南部を金鶏山、東北部を白雲山と名づけ西部を金洞山と呼びます。金洞山は東から望むときに金鶏、白雲両山の中間に見えるから中ノ岳とも呼ばれます。

白雲山は妙義神社の背後にそびえ、海抜1,104mに達し、非常に急な傾斜となっていて、山軸は南北に近く走り、絶壁面はその両側の上部特に東側によく発達しています。その山頂は東に関東平野をよく展望できるところです。金洞山は白雲山から西南にあたり、やや低い連峰で連なっていて、山軸は東西に走り、上部の絶壁面もこれに沿っています。その最高点は1,104mにおよびます。その山腹には数個の石門その他の奇岩があるので、これに登る人が多い。金鶏山は金洞山から東南に走る一枝脈で、山軸はほぼ東南に走り、最高856m、絶壁面の発達はほかの2山におよびません。

妙義山の3山はその山頂があまり高低の差なく続き、山頂から下にはその山軸の両側に、高さ数十~百数十mの絶壁面がそびえ、幅の狭い峰頭を作っています。この絶壁の下には傾斜の緩かな間は小絶壁および数多の直立板状岩、柱状岩があります。金洞山の奇岩および石門は主としてこの部分にあります。これらの部分は岩石が暴露し樹木が少なく、その下は谷まで崖錐となって岩砕および土壌に覆われています。要するに妙義山はもと平な山頂を有する台地状の山でしたが、深い渓谷によって削られ幅の薄い鋸歯状の頂をもつ峰となったものです。

妙義山の台底は第三紀層で、山体は集塊岩からなります。白雲山、金鶏山は大部分この種の集塊熔岩で、ただ下部に岩塊を含まない緻密質の熔岩があります。金洞山には緻密質の熔岩および粗鬆質の熔岩があり、集塊溶岩の下に位置して露出しています。これらの熔岩は直立節理をもち、かつ岩質が脆弱なため水蝕によって作用を受けること多く、容易に険しい山峰を彫刻したもので、堅固な岩塊が介在することによって絶壁に近い傾斜面の瓦解が防がれ、現在の奇景を保持しているものです。妙義山は山全体が広葉樹で覆われ、秋の紅葉の美をもって知られています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
妙義山 松井田より望む

令和に見に行くなら

名称
妙義山
かな
みょうぎさん
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
群馬県甘楽郡下仁田町、富岡市、安中市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

群馬縣の西部に位し、その東南部を金鷄山、東北部を白雲山と名づけ西部を金洞山と呼ぶ。金洞山は東方より望むとき金鷄、白雲兩山の中閒に見えるから中ノ嶽とも云はれる。

白雲山は妙義神社の背後に聳え、海拔一、一〇四米に達し、甚だ急峻なる傾斜をなし、山軸は南北に近く走り、絕壁面はその兩側の上部特に東側によく發達して居る。その山頂は東方關東平野を展望するによい。金洞山は白雲山から西南にあたり、やゝ低き連峰で相連り、山軸は東西に走り、上部の絕壁面もこれに沿ふ。その最高點は一、一〇四米に及ぶ。その山腹には數個の石門その他の奇岩があるので、これに登るものが多い。金鷄山は金洞山から東南に走る一枝脈で、山軸はほゞ東南に走り、最高八五六米、絕壁面の發達他の二山に及ばない。

妙義山の三山はその山頂甚しき高低の差なく相續き、山頂より下にはその山軸の兩側に、高さ數十米乃至百數十米の絕壁面が聳立し、幅狹き峯頭を作つて居る。この絕壁の下には傾斜緩かなる閒は小絕壁及數多の直立板狀岩、柱狀岩がある。金洞山の奇岩及石門は主としてこの部にある。これらの部分は岩石が暴露し樹木が少く、その下は谷まで崖錐となつて岩碎及土壤に蔽はれて居る。要するに妙義山はもと平な山頂を有する臺地狀の山であつたが、深き溪谷によつて切られ幅の薄い鋸齒狀の頂を有する峯となつたものである。

妙義山の臺底は第三紀層で、山體は集塊岩より成る。白雲山、金鷄山は大部分この種の集塊熔岩で、ただ下部に岩塊を含まない緻密質の熔岩がある。金洞山には緻密質の熔岩及粗鬆質の熔岩があり、集塊溶岩の下に位して露出して居る。これらの熔岩は直立節理を存し、且岩質脆弱なるにより水蝕のために作用を受くること甚しく、容易に峨々たる山峯を彫刻したもので、堅固なる岩塊の介在するにより絕壁に近き傾斜面の瓦解が防がれ、今日の奇景を保持して居るものである。妙義山は滿山濶葉樹に掩はれ、秋季紅葉の美を以て知られて居る。

高崎・磯部のみどころ