多胡碑

多胡碑
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

上信電気鉄道吉井駅の東北約2km、吉井町御門、ケヤキの森の中にあります。宝形造の小屋に覆われ、碑身は約60cm角の方柱状の切石で高さ約1.3mあります。碑身は上部に笠形をしている覆石を載せて二段の正方形の台石の上に立っています。この碑は奈良時代の和銅4年(711年)すなわち今から約1,200年前、上野の片岡、緑野、甘良三郡の内から三百戸を割いて、新たに多胡郡を置いた時の辦官符を刻したものです。この事実は続日本紀の和銅4年4月の条にも記載されていますが、この碑文によってその事情がいっそう明らかにされています。上野三碑のひとつとして名高く指定の史蹟です。その文字は雄勁で六朝の古風を残し、全文は次のように刻書されています。

弁官符上野国片岡郡緑野郡甘良郡并三郡内三百戸郡成給羊成多胡郡和銅四年三月九日甲寅宣左中弁正五位下多治比真人太政官二品穂積親王左大臣正二位石上尊右大臣正二位藤原尊

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
多胡碑
かな
たごひ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
群馬県高崎市吉井町池1095
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同吉井驛の東北約二粁、吉井町御門、欅の森の中にある。寶形造の小屋に覆はれ、碑身は約六〇糎(二尺)角の方柱狀の切石で高さ約一米三ある。碑身は上部に笠形を成せる覆石を載せて二段の正方形の臺石の上に立つて居る。この碑は和銅四年卽ち今より約千二百年前、上野の片岡、綠野、甘良三郡の內から三百戶を割いて、新に多胡郡を置いた時の辦官符を刻したものである。この事實は續日本紀の和銅四年四月の條にも記載されて居るが、この碑文によつてその事情が一層明かにされる。上野三碑の一として名高く指定の史蹟である。その文字は雄勁で六朝の古風を存し、全文は次の如く刻書されて居る。

辯官符上野國片岡郡綠野郡甘良郡并三郡內三百戶郡成給羊成多胡郡和銅四年三月九日甲寅宣左中辯正五位下多治比眞人太政官二品穗積親王左大臣正二位石上尊右大臣正二位藤原尊

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