山上碑

山上碑
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

上信電気鉄道山名駅の西約1.5km、八幡村山神谷丘陵の中腹にあります。碑は安山岩の自然石で高さ約1.2m、正面の幅、最大部約50cm。この碑は放光寺の僧長利がその母黒売刀自のために立てたもので、碑の全文は

辛巳歳集月三日記 佐野三家定賜健守命孫黒売刀自此 新川臣児斯多々弥足尼孫大児臣娶生児 長利僧母為記定文也 放光寺僧

碑文に年号がなく辛巳の年とのみあるので、天武天皇の9年と聖武天皇の天平13年の2説があります。碑のそばに上代の墳墓の石槨が口を開かれているので、あるいはその墓標として建てられたものではあるまいかという説もあり、多胡碑、金井沢碑とともに上野三碑として名高く指定の史蹟です。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
山上碑
かな
やまのうえひ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
群馬県高崎市山名町山神谷2104
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同山名驛の西約一粁半、八幡村山神谷丘陵の中腹にある。碑は安山岩の自然石で高さ約一米二、正面の幅、最大部約五〇糎。この碑は放光寺の僧長利がその母黑賣刀自のために立てたもので、碑の全文は

辛巳歲集月三日記 佐野三家定賜健守命孫黑賣刀自此 新川臣兒斯多々彌足尼孫大兒臣娶生兒 長利僧母爲記定文也 放光寺僧

碑文に年號がなく辛巳の歲とのみあるので、天武天皇の九年と聖武天皇の天平十三年の二說がある。碑の傍に上代の墳墓の石槨が口を開かれて居るので、或はその墓標として建てられたものではあるまいかと云ふ說もあり、多胡碑、金井澤碑と共に上野三碑として名高く指定の史蹟である。

高崎・磯部のみどころ