金井沢碑

金井澤碑
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

上信電気鉄道根小屋駅の西南約800m、八幡村大字山名字金井沢にあり、もと農家のそばに倒れていたのを後に今の地に移し建てたものです。高さ約1mあまり、幅最大部約70cmの安山岩自然石です。この碑は奈良時代の神亀3年(724年)、すなわち今から約1,200年前上野国群馬郡下賛郷高田里の三家の子孫が団結して、その祖先および現在の父母のため、天地に誓願し、仏を供養した由来を記したもので碑の全文は

上野国群馬郡下賛郷高田里 三家子孫為七世父母現在父母 現在侍家刀自□□君目頬刀自又児□ 那刀自孫物部君午足次𩢍刀自次乙𩢍 刀自合六口又智識所結人三家毛人 次知万呂鍛師磯部君身麿合三口 如是智識結而天地誓願仕奉 石文 神亀三年丙寅二月廿九日

とあります。この碑は多胡碑、山上碑とともに上野三碑として知られ指定の史蹟です。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
金井沢碑
かな
かないざわひ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
群馬県高崎市山名町金井沢2334
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

上信電氣鐵道根小屋驛の西南約八〇〇米、八幡村大字山名字金井澤にあり、もと農家の傍に仆れてあつたのを後に今の地に移し建てたのである。高さ約一米餘、幅最大部約七〇糎の安山岩自然石である。この碑は神龜三年、卽ち今より約千二百年前上野國群馬郡下贊鄕高田里の三家の子孫が團結して、その祖先及現在の父母のため、天地に誓願し、佛を供養した由來を記したもので碑の全文は

上野國群馬那卡赞鄉高田里 三家子孫爲七世父母現在父母 現在侍家刀自□□君目頬刀自又兒□ 那刀自孫物部君午足次𩢍刀自次乙𩢍 刀自合六口又智識所結人三家毛人 次知萬呂鍛師磯部君身麿合三口 如是智識結而天地誓願仕奉 石文 神龜三年丙寅二月廿九日

とある。この碑は多胡碑、山上碑と共に上野三碑として知られ指定の史蹟である。

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