秩父の地質

秩父の地質
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

秩父盆地は関東山塊の中央から少々東北にあって、四方に800~1,700mの山脈をめぐらし、盆地の内部は270~500mの丘陵地をなし、その間に一段低い階段地があります。これは河成段丘です。山地は多く秩父古生層で、一部分は三波川層、御荷鋒層、白亜紀層からなり、盆地内は第三紀層です。三波川層は盆地の東から北にわたって弓状に分布していて、長瀞駅付近でよく露出し、その結晶片岩は荒川に浸蝕されて長瀞の勝景をなしています。その下部は絹雲母片岩でその上に薄い石墨片岩および紅簾片岩を挟み、中部は石墨絹雲母および緑泥角閃片岩の互層で、上部は緑簾絹雲母片麻岩です。御荷鉾層は主に緑色の輝岩および角閃岩からなり、三波川層の西線に沿って分布し、秩父盆地の東北の一小部分を占めます。秩父古生層は盆地の北、西、南の山地を占め、その下部は赤色および緑色石英岩、アヂノール板岩、下部輝緑凝灰岩、グレーワッケ砂岩粘板岩の互層、アジノール板岩、角岩、放散虫板岩からなり、上部は上部輝緑凝灰岩、フズリナ石灰岩、角岩、粘板岩、砂岩からなっています。武甲山および呌山は石灰岩、角岩、石英岩のような硬い岩からなって水蝕に抵抗するために山中に高くそびえています。また秩父町付近の影森には鍾乳洞ができています。中生代の白亜紀層は、盆地の西北部、赤平川の支流河原沢川に沿い、飯田田頭付近から西北に延び、志賀坂峠を経て長野県南佐久郡大日向の付近におよび、幅2,000~5,000m、長さ40kmにおよぶ帯状の地で山中地溝帯と呼ばれています。主に砂岩、礫岩、板岩からなり、下部に植物化石および淡水の介化石を産し、上部に三角介およびアンモナイトなどを産します。この白亜地層が堆積した後に地殻の変動があって地溝を生じたものといわれています。

盆地の内部は第三紀層の新しい堆積からできています。この地層は東北から西南へ、または東北北から西西南へ走向を有し、東南から東南南に20~30度傾斜します。西北隅の馬上から小鹿野に至る途中、牛首峠付近には厚い礫岩層があります。またこの層の下には厚い砂岩があります。盆地の第三紀層の大部分は、この礫岩および砂岩の上に重なっていて、主に砂岩頁岩の互層からなり、ところどころに礫岩を狭んでいます。秩父町の東南根古谷付近には炭層があります。累層の大部分は海成層で、海棲介殻の化石が多く出ます。なかにもタイアシラ、ファコイデス、鮫歯などがよく見られます。また黒谷の付近では石灰藻や有孔虫珊瑚などが発見されました。盆地の第三紀層と周囲の古期岩層との関係を見ると、その大部分は断層です。特に東縁の大部分、北縁の東半、南縁の東部は断層で分断されます。従来秩父盆地の第三紀層は、現在のように周囲の山地のなかに湾入していた内海のなかに堆積したものと考えられていましたが、近頃では第三紀層が堆積した後に地殻変動が起こって、盆地と周囲の山地との間に高さの差が生じ、また風化作用のために、周囲の山地上の第三紀層は削り取られて、盆地の表面のみに第三紀層が保存されたのだといわれています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
秩父の地質
かな
ちちぶのちしつ
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
埼玉県秩父市
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

秩父盆地は關東山塊の中央から稍々東北にあつて、四方に八〇〇米乃至一、七〇〇米の山脈をめぐらし、盆地の內部はニ七〇米乃至五〇〇米の丘陵地を成し、その閒に一段低い階段地がある。これは河成段丘である。山地は多く秩父古生層で、一部分は三波川層、御荷鋒層、白堊紀層から成り、盆地內は第三紀層である。三波川層は盆地の東から北に亘つて弓狀に分布して居り、長瀞驛附近に於てよく露出し、その結晶片岩は荒川に浸蝕されて長瀞の勝景をなして居る。その下部は絹雲母片岩でその上に薄い石墨片岩及び紅簾片岩を挾み、中部は石墨絹雲母及び綠泥角閃片岩の互層で、上部は綠簾絹雲母片麻岩である。御荷鉾層は主に綠色の輝岩及び角閃岩から成り、三波川層の西線に沿うて分布し、秩父盆地の東北の一小部分を占める。秩父古生層は盆地の北、西、南の山地を占め、その下部は赤色及綠色石英岩、アヂノール板岩、下部輝綠凝灰岩、グレワツケ砂岩粘板岩の互層、アヂノール板岩、角岩、放散蟲板岩より成り、上部は上部輝綠凝灰岩、フズリナ石灰岩、角岩、粘板岩、砂岩より成つて居る。武甲山及呌山は石灰岩、角岩、石英岩の如き硬い岩から成つて水蝕に抵抗するから山中に巍然と聳えて居る。また秩父町附近の影森には鍾乳洞が出來て居る。中生代の白亞紀層は、盆地の西北部、赤平川の支流河原澤川に沿ひ、飯田田頭附近から西北に延び、志賀坂峠を經て長野縣南佐久郡大日向の附近に及び、幅二、〇〇〇米乃至五、〇〇〇米、長さ四〇粁に及べる帶狀の地で世に山中地溝帶と稱せられる。主に砂岩、礫岩、板岩より成り、下部に植物化石及び淡水の介化石を產し、上部に三角介及びアンモナイトなどを產する。この白堊地層が堆積した後に地殼の變動があつて地溝を生じたものと云はれて居る。

盆地の內部は第三紀層の新しい堆積から出來て居る。この地層は東北から西南へ、または東北北から西西南へ走向を有し、東南乃至東南南に二〇度乃至三〇度傾斜する。西北隅の馬上から小鹿野に至る途中、牛首峠附近には厚い礫岩層がある。またこの層の下には厚い砂岩がある。盆地の第三紀層の大部分は、この礫岩及砂岩の上に重なつて居て、主に砂岩頁岩の互層から成り、處々に礫岩を狹んで居る。秩父町の東南根古谷附近には炭層がある。累層の大部分は海成層で、海棲介殼の化石が多く出る。中にもタイアシラ、フアコイデス、鮫齒などが著しい。また黑谷の附近では石灰藻や有孔蟲珊瑚などが發見された。盆地の第三紀層と周圍の古期岩層との關係を見るに、その大部分は斷層である。殊に東緣の大部分、北緣の東半、南緣の東部は斷層で界される。從來秩父盆地の第三紀層は、今日見るが如き周圍の山地の中に灣入して居た內海の中に堆積したものと考へられて居たが、近頃では第三紀層が堆積した後に地殼變動が起つて、盆地と周圍の山地との閒に高さの差が生じ、また風化作用のために、周圍の山地上の第三紀層は削り取られて、盆地の表面のみに第三紀層が保存せられたのだと云はれて居る。

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