日向薬師(宝城坊)

日向藥師(寶城坊)[眞言宗高野山派]
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

小田原急行電車線伊勢原駅の西北8km、高部屋村日向山の中腹の景勝地にあります。途中新田まで自動車の便があります。創建の時代は定かではありませんが日向霊山寺として古くから有名でした。鎌倉時代になって幕府の崇敬厚く頼朝も政子もたびたび参詣しました。本堂に安置されている薬師三尊の像は平安時代の作です。本尊は高さ約1.2m、蓮座上に結跏跌坐し、右手は胸前に持ち、掌を外に向け説法の印を結び、左手は膝に置き掌を上にして薬壷を載せ、二重円光を背負っています。一木造の鉈彫で全面にノミのあとを現わしていますが顔は非常にきれい仕上げられ、鼻目口唇の造作は鋭い刀法できっぱりとした趣致に富み、巧妙な運刀で、体幹は丈夫のような雄偉さがあり、面貌には極めて平静で温和な表情があふれています。両脇侍は立像でその彫法は本尊と同じようにいきいきとした表情に富み、本尊とともに優秀な作で平安中期の特徴を残しています。このほか本堂内には日光月光両菩薩の像、四天王像および十二神将像が安置されています。いずれも国宝で日光月光両菩薩は約2.4mの巨像でその姿態はやさしく衣のひだの表現に繊細なところはありますが、この地方に珍しい様式のもので鎌倉初期の作です。その他はこれに次ぐ時代の作です。なお境内の鐘楼にかかっている銅鐘(国宝)には暦応の銘文があります。一区画内に薬師三尊の種子を刻んで銘文の末尾に「勧請十二神将」とあるのは現在の十二神将のことで銘文として珍しいものです。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行
薬師像(日向薬師)

令和に見に行くなら

名称
日向薬師(宝城坊)
かな
ひなたやくし(ほうじょうぼう)
種別
見所・観光
状態
現存し見学できる
住所
神奈川県伊勢原市日向1644
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

同伊勢原驛の西北八粁、高部屋村日向山の中腹景勝の地にある。途中新田まで自動車の便がある。創建の時代は詳かでないが日向靈山寺とて夙に有名であつた。鐮倉時代になつて幕府の崇敬厚く賴朝も政子も度々參詣した。本堂に安置せる藥師三尊の像は平安時代の作である。本尊は高さ約一米二(三尺八寸五分)蓮座上に結跏跌坐し、右手は胸前に持ち、掌を外に向け說法の印を結び、左手は膝に置き掌を上にして藥壷を載せ、二重圓光を負つて居る。一木造の鉈彫で全面に鑿のあとを現はして居るが面部は頗る奇麗に仕上げられ、鼻目口唇の造作は刀法銳くして直截の趣致に富み、頗る巧妙なる運刀を現はし、軀幹は丈夫の如く雄偉にして、面貌には極めて平靜溫和なる表情があふれて居る。兩脇侍は立像にしてその彫法本尊と同じく頗る神韻生動の表情に富み、本尊と共にその作優秀にして平安中期の特徵を存して居る。この外本堂內には日光月光兩菩薩の像、四天王像及十二神將像が安置されて居る。何れも國寶で日光月光兩菩薩は約二米四(八尺)の巨像でその姿態やさしく褶襞の手法纖細の所あるはこの地方に珍しい樣式のもので鐮倉初期の作である。その他はこれに次ぐ時代の作である。尙境內の鐘樓にかゝつて居る銅鐘(國寶)には曆應の銘文がある。一區劃內に藥師三尊の種子を刻し銘文の末に「勸請十二神將」とあるは現在の十二神將であつて銘文として珍らしい。

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