相模国分寺跡

相模國分寺址
※現代の景観です。

昭和初期のガイド文

小田原急行電車線海老名国分駅の南1km、海老名村国分にあります。遺跡は南北1kmにわたり、講堂、金堂および七重塔の跡が村役場の西北200mの畑中にあります。講堂跡は礎石群が残っていて、後の2つはいずれも土壇が残り、それぞれ十数個の礎石と多数の遺瓦が散在しています。これら諸堂跡の北には鐘楼と鼓楼跡の土壇があり、南に中門跡の礎石をとどめ、これらを連ねた廻廊跡の礎石も残っています。さらにこれら遺跡の南500mにある小学校の校庭内に八幡社跡の礎石群があり、その東300mの丘陵上に薬師堂跡があります。また小学校の南側には南大門跡が残ります。寺跡は規模の雄大さで武蔵国分寺跡に次ぐもので、創建当時の盛観がうかがえる指定の史蹟となっています。

なお尼寺跡は駅の南100mの畑中にあり、僧寺跡の北に連なり、金堂跡には土壇上に礎石が残り、その北に講堂跡の土壇があり、南に中門跡、西南に西塔跡があっていずれも礎石が残っています。

村役場の門前にある温古館には、国分寺跡出土の遺瓦やその他付近で出土した石器時代の遺物類を陳列しています。

※底本:『日本案内記 関東篇(初版)』昭和5年(1930年)発行

令和に見に行くなら

名称
相模国分寺跡
かな
さがみこくぶんじあと
種別
見所・観光
状態
状態違うが見学可
備考
発掘調査が行われ、現在は相模国分寺跡歴史公園となっています。
住所
神奈川県海老名市国分南1-25-38
参照
参考サイト(外部リンク)

日本案内記原文

小田原急行電車線海老名國分驛の南一粁、海老名村國分にあり。遺址は南北一粁に亘り、講堂、金堂及七重塔婆の址は、村役場の西北二〇〇米の畑中にあり、講堂址は礎石群を殘存し、後二者は何れも土壇が遺存し、各々十數箇の礎石竝に多數の遺瓦が散在する。これら諸堂址の北に當り鐘樓及鼓樓址の土壇があり、南に中門址の礎石をとゞめ、これらを連ねた廻廊址の礎石も遺存する。更にこれら遺址の南五〇〇米にある小學校々庭內に八幡社址の礎石群あり、その東三〇〇米の丘陵上に藥師堂址がある。また小學校の南方にあたり南大門址を存する。寺址は規模の雄大なこと武藏國分寺址に次ぎ、創建當時の盛觀を窺ふべく指定の史蹟となつて居る。

尙尼寺址は驛の南一〇〇米の畑中にあり、僧寺址の北に連り、金堂址には土壇上に礎石を存し、その北に講堂址の土壇あり、南に中門址、西南に西塔址ありて何れも礎石を存して居る。

村役場の門前にある溫古館には、國分寺址出土の遺瓦その他附近出土の石器時代の遺物類を陳列して居る。

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